再び、フェルナン・クノップフ(Fernand Khnopff、1858-1921)の絵画『シューマンを聴きながら』を見つめながら、シューマンの音楽を聴きたくなった。
En écoutant du Schumann/listening to Schumann *1
音楽的人間は鳥の中で脱領土化する。そのとき鳥それ自体も脱領土化し、「変容」をとげた鳥になる。
クラウディオ・アラウのピアノで《森の情景》より第7曲「予言の鳥」 Op.82-7
Claudio Arrau Schumann Waldszenen 7 Vogel als Prophet Op. 82
リヒテルの演奏による《幻想曲ハ長調》 Op.17
Richter plays Schumann's Fantasy in C
ヴラディーミル・ソフロニツキーによる《ピアノソナタ第1番嬰ヘ短調》 Op.11
Vladimir Sofronitsky plays Schumann Sonata No.1 in F sharp minor, Op.11
そして、ジャクリーヌ・デュ・プレの演奏による《チェロ協奏曲》 Op. 129
Jacqueline du Pre - Schumann cello concerto a minor op.129 - first movemen)
ある協奏曲の中で、まるで光が遠ざかり、消えていくようにチェロの音をさまよわせるために、シューマンはオーケストラがもつすべてのアレンジメントを動員する。シューマンの作品には、メロディー、ハーモニー、そしてリズムを巧妙に加工する一貫した作業があり、そこから得られる単純にして簡素な成果が、まさにリトルネロの脱領土化なのである。音楽の最終目標として脱領土化したリトルネロを産み出すこと、そして脱領土化したリトルネロを宇宙に解き放つこと。これは新たなシステムを作るよりも重要なことである。
アレンジメントを宇宙の力に向けて開くこと。アレンジメントから力へ、音のアレンジメントから音をもたらす〈機械〉へと移行するとき、つまり音楽家の〈子供への生成変化〉から子供の〈宇宙的なものへの生成変化〉に移行するとき、数多くの危機が生じる。
ブラック・ホール、閉塞状態、指の麻痺、幻聴、シューマンの狂気、悪しきものとなった宇宙の力。一つの楽音がきみたちにつきまとい、一つの音がきみたちの体を突き抜ける。とはいえ、一方はすでにもう一方の中にあったのだ。
つまり、宇宙の力は素材の中にあったのだし、大いなるリトルネロはささやかなリトルネロの中に、大規模な操作は小規模な操作の中にあったのである。ただ、われわれは自分に十分な力があるのかどうか、確信がもてないのだ。われわれはシステムをもたず、複数の線と運動をもつにすぎないからである。シューマン。
- 作者: ジルドゥルーズ,フェリックスガタリ,Gilles Deleuze,F´elix Guattari,宇野邦一,田中敏彦,小沢秋広
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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*1:ベルギー王立美術館/Royal Museums of Fine Arts of Belgium