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カネッティの「すべてを学ぶこと」



保守主義者で反革命家のジョゼフ・ド・メーストルについて触れたときバーリン以外にも、誰かがそのフランスのカトリック思想家のことを「好きだ」と書いていたな、と思って気になっていたのだが、思い出した。エリアス・カネッティElias Canetti、1905 - 1994)であった。カネッティについて記したスーザン・ソンタグの文章の中でだった。ソンタグのカネッティ論「情熱としての精神」を読み返してみた。
ソンタグは、まず、カネッティのことを「讃美することを知っている高邁な存在である作家」だと述べる。カネッティはヘルマン・ブロッホを、カール・クラウスを讃美する。ゲーテを讃美する。イギリスの人々を讃美する……。そして彼の「敵」でさえも「好きだ」と言う。カネッティは人々を称えるのが好きなのだ。

1965年、彼(=カネッティ)は、真剣な作家が少なくとも或る期間別の権威ある存在のとりこになることは意味のあることだと言おうとして、20年代にウィーンの学生であった頃カール・クラウスに対して抱いた激越な讃嘆の念のことを語っている。このクラウス論は讃美の倫理をめぐって展開する。彼は大いなる敵からの挑戦を、手の届かないはるかな規範によって逆に鼓舞されるのを歓迎する(彼は何人かの「敵」──ホッブスやメーストルなど──も好きな作家に加えている)。彼がもっとも賞賛してやまないカフカについては、こう述べている。「彼を読むと心が善くなるが、しかしそれを鼻にかける気は起こらない」。


カネッティは他の人々を称えるのを心の底から喜びとし、義務と感ずるので、また作家の仕事についてきわめて潔癖な考えかたをするので、彼の中では謙遜と──そして誇りとが、独特の<私>ぬきの極端な自己陶酔につながってしまう。彼は自分の讃美する誰かになることに夢中になってしまうのだ。



(中略)


彼の物語は自由にむかう物語となる。ひとつの精神が、ひとつの言語が、ひとつの舌が「自由になり」世界を放浪する。




スーザン・ソンタグ「情熱としての精神」(『土星の徴しの下に』所収、富山太佳夫 訳、みすず書房) p.202-203

カネッティの精神の世界の地理はもつれている──とソンタグは続ける。彼はブルガリア出身のユダヤ人であった。そして、幼年時代からローザンヌチューリッヒの学校に通い、さらにベルリン、ウィーン、パリ、ロンドンに滞在する、故郷喪失者であった。そんな彼にとって、精神上の首都はウィーンであった。
故郷を喪失した者のみが「この世界には故郷を喪失した者たちの姿がつねにあった」ことを痛感する。
「故郷を失った作家については一般に言えることであるが、彼もほとんど生まれながらにして、土地というものと特定の関係を結んでしまった。すなわち、土地とは言葉のことになる。多くの言葉を知るとは、多くの土地を自分の領土であると主張することにつながる」とソンタグは書いている(p.204)。そのせいで「言葉との熱い関係」が深まった、と。

生きるとは言葉を──ラディノ語、ブルガリア語、ドイツ語(両親が互いの会話の中で使った言葉)、イギリス語、フランス語を──習得し、「あらゆる土地」に住まうことに他ならなかった。


ドイツ語がカネッティの精神の言葉になったこと自体、彼の土地喪失をよく示しているだろう。ドイツの爆撃機がロンドンに爆弾を投下しているさなかにノートに書きとめられた、ゲーテの霊感力への敬虔な讃美の言葉は(「万一生き残りうるとするならば、ゲーテのおかげだ」)、ドイツ文化への忠誠を示すものであるが、逆にそれがため彼はイギリスでは──もうこの国で人生のゆうに半分以上を送っているのに──異国人でいるしかなくなる。しかしそれを、ユダヤ人であるカネッティは、高邁なコスモポリタニズムとして受けとめる義務と特権を甘受する。
彼はドイツ語で書きつづける──「なぜなら、私がユダヤ人だから」。1944年に彼はそうしるした。彼はその決意に従って、ヒトラーから逃れた大半のユダヤ系知識人のように憎悪一色にそまることなく、ドイツ文化の子孫として、それを称えるに足るものにしてゆこうとすることになる。現にそうしてきたのである。





p.204-205

ソンタグによれば、アイリス・マードックの小説に登場する哲学者のモデルはカネッティだという──『魔術師を逃れて』(魅惑者から逃れて)はカネッティに捧げられている。マードックの小説の中で、カネッティの肖像は「その大胆さとおのずとにじみでる優位性とがひとつの謎として友人たちを畏怖させる」人物として描かれている。
一方、エリアス・カネッティ自身の小説『眩暈』の中では、一人の書物狂──キーン教授──が描かれる。その人物は二万五千冊の本に、あらゆる問題に関する本に、囲まれて生きている。が、その人物は人生の恐ろしさを知らない、自分の本から隔離されるまで知ろうとしない。その人物は、ついには、書物を自分の脳髄の中につめ込んでしまおうとする妄執に取り付かれてしまう。彼は書物とともに死んでゆく。

『眩暈』はキーンの狂気の進行を、「頭脳」と「世界」の関係が三通りに変わることとして描きだす──彼はまず「世界なき頭脳」として書物に埋もれ、次に「頭脳なき世界」である獣的な都市をさまよい、「頭脳のなかの世界」によって自殺に追いこまれる。これは何も書物狂にのみあてはまる言い方ではない。カネッティ自身、のちのノートの中で自分を描くときにこの表現を使い、自分の人生は「すべてが頭脳の中に集中してひとつになる」ように、すべてについて思索しようとする必死の努力以外のなにものでもないと述べて、『眩暈』で物笑いにした発想そのものが自己の内にもあることを確認している。


ノートに描かれているこの恐るべき貪欲さは、カネッティが十六歳のときに選びとった目標と同じものなのだ──すなわち、「すべてを学ぶこと」。この目標のゆえに母は彼を利己的で無責任だと叱ったことが、『救われた舌』に書かれている。切望し、渇望し、待望するとき──そこからは知識と真理に対して熱い利欲的な関係が生ずるだろう。


(中略)


1951年のメモ──「彼の夢。自分の知っていることのすべてを知ること、そして、そのこと自体は知らないこと」。




p.208-209

エリアス・カネッティのノートはアフォリズムで満たされている。そしてノートというのは──と、ソンタグは書く──永遠に学びつづける者にとって、いかなる主題ももたないというか、いや、「すべて」を主題とする者にとって、完璧といえる文学形式である。

アフォリズムを書く人はたいていが悲観論者であり、人間の愚かしさに対して侮蔑を投げつける人である。(「アフォリズムの達人たちは互いに顔見知りであるような印象を受ける」とカネッティ自身が書いている)。アフォリズム的思考というのは形式をわらい、交際をうとんじ、敵意にあふれ、矜持がつよいものである。
「人は傲岸であるためにこそ──つまり、より自己に徹するためにこそ友を必要とする」とカネッティは書く。まちがいなくアフォリズムの声だ。




p.212-213

土星の徴しの下に

土星の徴しの下に






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