HODGE'S PARROT

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色とりどりのパピヨン ヴラダーのシューマン



ハルモニア・ムンディ(HMF)から、ひときわ目を惹く美しいジャケットのシューマン・アルバムがリリースされていた。裏カヴァーを見ると「It is also to enter the eccentric, vulnerable imagination of the most literary of the Romantics. Beneath the multiple masks of the colourful celebrations is hidden a fabulously imaginative vision of the world!」なんていうシューマンの「セカイ」がスバリ言い表されている。購入、聴いてみた。

シューマン:チョウチョウ 他 [Import] (PAPILLONS CARNAVAL)

シューマン:チョウチョウ 他 [Import] (PAPILLONS CARNAVAL)


最初に記しておきたい。このディスクは早くも僕の今年のベストテン入り確実だ。今もちょっと興奮しながら、躁状態で、これを書いている。
収録されているのは、≪蝶々(パピヨン)/Papillons≫Op.2、≪謝肉祭/Carnaval≫Op.9、≪ウィーンの謝肉祭の道化/Faschingsschwank aus Wien≫Op.26の3曲。シューマンの「陽」「躁」が、めいいっぱい披露されている、と言ってもよい。しかもそこに得も言えぬ詩情が溢れ出ている。

演奏者はシュテファン・ヴラダー(Stefan Vladar、1965年生まれ)。ヴラダーというと、オーストリアのウィーン出身という「毛並み」ばかりが喧伝されていて、リリースされるCDもベートーヴェンモーツァルトといった古典派が多かったので、なんとなく聴く機会がなかった。しかしこのシューマン・アルバムを聴いて、こんなに素晴らしいピアニストだったのか、と開眼した。

とくに≪蝶々≫。この最初のユニゾン。さりげなく、しかし巧みに……仮面舞踏会のお誘いを受けたら、もうすでにワルツを踊っているような華やかな世界に連れていかれるような。
≪蝶々≫は、よく知られているように、ジャン・パウル/Jean Paul の小説『生意気盛り(腕白時代)/Flegeljahre』の仮面舞踏会のシーン──二人の青年ヴァルトとフルトが「仮面(Mask)を交換」し「愛の戦術」で恋人の気を惹こうとする*1──が「幻想的に」描かれている。もちろん僕は仮面舞踏会の経験はないのだが、でも「ゲイ・ナイト」の雰囲気は知っている。だからだろうか、僕にとっては、自然とこの音楽にノレる。あの浮き浮きした感じ、淡い期待、感傷的な部分も含めて。しかもフィナーレの「音符が消えていく」ところなんて、白々しい朝を迎え、着飾ったパピヨンたち-Guys が散っていき、日常に戻るときの心境にピッタリだ。
そんなことを思い出させてくれるヴラダーの演奏は最高だ。


≪謝肉祭≫も見事な演奏で感情を昂ぶらせてくれる。もちろん人気曲で多士済々の録音があるので「これがベスト」とは断言しずらい……しかし、このヴラダーほどピアニスティックな輝かしさと、ポエジーを感じさせてくれるピアニストは、そう多くはないだろう。
パンタロンとコロンビーヌ」や「パガニーニ」における技巧の冴え渡り、「キャリアーナ」や「エストレルラ」での情熱、「告白」から「散歩」への気分の変化も実に心憎い。「フィリスティンたちと戦うダヴィッド同盟の行進」も心躍る勝利の凱旋だ。


そして≪ウィーンの謝肉祭の道化≫。≪パピヨン≫、≪謝肉祭≫であれだけ楽しませてくれるのだから、ピアニスティックな技巧と音楽的センスは改めて言うまでもないだろう。この曲に関しては、これまで聴いたディスクの中で、ベストだと言いたい。
なんといっても第4楽章「インテルメッツォ(間奏曲)」。シューマンアイロニーを込めて「間奏曲」と題したのかどうかわからないが、指定にもあるようにエネルギッシュな曲で、シュテファン・ヴラダーは完全にその指示に従っている。つまりフォルテ、スフォルツァンド、キツい不協和音、音の濁り──これがこの「インテルメッツォ」で表現されているかどうか、だ。
この熱を帯びた「間奏曲」からフィナーレへの突撃は、やはり≪謝肉祭≫の騒々しい「休息」から「ダヴィッド同盟の行進」へのシューマンらしい「昂ぶり」を思わせる。
シューマンらしい昂揚──音楽による高揚感は、このヴラダーのアルバムで存分に体験できる。




[Stefan Vladar Official site]

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集

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