HODGE'S PARROT

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美の勝利? ワーグナーVSモーツァルト



久しぶりにフリードリヒ・ニーチェの著作を紐解いて「ニーチェヴァーグナー」などを読んでみた。タイトルがアレだが、すこぶる面白い。

リヒアルト・ヴァーグナーに関する誤解は今日ではドイツにおいては非常なものである。しかも私は、この誤解を増大させるのにあずかって力があったのだから、私は罪ほろぼしをし、それを減少させるよう努めたいと思う。




ヴァーグナーの場合』のための最初の覚え書き(『ニーチェ全集〈14〉偶像の黄昏 反キリスト者』より、原佑 訳、筑摩書房ちくま学芸文庫) p.475


ニーチェはここで、ワーグナーモーツァルトを比較したりしているのだが、そういえばこのような「比較」はどこかで見たことがある……と思い出したのが、ヨーゼフ・ロートの小説『美の勝利』だ。
『美の勝利』は、オーストリアユダヤ人作家ロートが1934年に書いた──作者身辺の状況説明はこれで十分だろう。
主な登場人物は三人。旧オーストリアハンガリー二重帝国の「毛並みの良い」「貴族的な」外交官。イギリス出身の「市民階級」の妻。ブタペスト出身の「口髭(もちろん、ちょびひげである)を生やした」若い弁護士。ストーリーはこの三角関係の悲劇である。
訳者の平田達治氏が解説で『美の勝利』の構図を明快に示しているので参照したい。
ナショナリズムの激化によって滅びんとしつつある多民族国家オーストリアハンガリー君主国」で育った夫はカトリックであり、彼は「汎ヨーロッパ文化」を代表している。一方、妻はプロテスタントで「アメリカ渡りのシミーとかジャバとかいうダンスの類」を好む「新興ブルジョワ」である。この夫婦の対立の最たるものが、モーツァルトワーグナーの対立である──と平田達治氏は記す。

夫と語り手の医者スコヴロネク(彼は『ラデツキー行進曲』においても、知事トロッタのチェスの相手を勤める友人の医者として登場している)はともにモーツァルト愛好家(Mozart-Liebhaber)であるのに対し、妻はワーグナー信奉者(Wagner-Anhänger)である。


ここにはモーツァルトに代表される汎ヨーロッパ的ウィーン・オーストリア文化とワーグナーに代表される新興ベルリンの民族主義プロイセン・ドイツ文化の対立が含まれている。そしてワーグナーの場合にこそ有効な「信奉者」(Anhänger)の結合語は、この作品が書かれた当時、他ならぬヒトラーナチスと結びつき、何よりも「ヒトラー信奉者」(Hitler-Anhänger)、「ナチ信奉者」(Nazi-Anhänger)として使われていた事実を見逃してはならない。
さらに「チフスよりもヒステリーの方がはるかに感染力が強く」、「この世における狂気は健全な常識よりも強靭だし、悪意は善意よりも鞏固なものなのだ」との表現には、明らかにヒトラーの狂気の民族主義に対する痛烈な風刺が込められている。つまり、旧ハープスブルク帝国の東の果てガリチアの地に生まれたユダヤオーストリア作家だったロートにとっては、オーストリアは超国民的性格を備えた、多民族国家として、つねにプロイセンに出発するナチス・ドイツの対極にあり、かつてのウィーン、今亡命の地として選んだパリも、まさにヒトラー第三帝国の首都と化したベルリンの対立概念であった。




ヨーゼフ・ロート 小説集3』より「訳者解説」(鳥影社) p.413-414


『美の勝利』の悲劇は、「ちょび髭の」弁護士──そう、弁舌を生業としているのである──が、外交官の妻を誘惑し、そのために、旧ハプスブルクの外交官が自殺するというものである。医者である語り手は、「ちょび髭」のことを「サナダムシ」と呼ぶ。

ヨーゼフ・ロート小説集〈3〉

ヨーゼフ・ロート小説集〈3〉