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ラングドックでの出来事

風邪のためか頭痛がする。非ピリン系のPL顆粒──眠気を催す──を飲みつつ、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を紐解き、トマス・ビンクレー指揮ミュンヘン古楽スタジオ(Thomas Binkley & Studio Der Fruhen Musik)の5枚組のCD『Music From The Middle Ages』(Virgin Classics)を聴き、失われた中世に思いを馳せた。

Music From the Middle Ages

Music From the Middle Ages


この「中世音楽集」の5枚目が『L'Agonie du Languedoc』で、トルバドゥールによるラングドック地方(現ラングドック=ルシヨン地域圏。オック語──Langue d'Ocに由来)に関する音楽が収録されている。
中世フランスの音楽はどのような響きがするのだろう──と初めて聴く音楽に好奇心を抱いていたのだが、聴いてみて驚いた。ほとんどポピュラー音楽、というかフォーク・ソングみたいだった。ギターやそれに類する楽器を伴奏に、独特の抑揚があるものの、シンプルなメロディが歌われる。アカデミックな──あるいは荘厳で「聖なる」ポリフォニーが施された──「古楽」という感じがしない。

トルバドゥールは、プロヴァンス語「見いだす」という意味であり、詩と歌を作る人、つまりシンガーソングライターのことである。




ウィキペディア


そう考えれば、Rob Cowan 氏が『Independent』のレビューで「中世のヒッピー」と評したことも、なんとなく頷ける。

"Musical vegetarianism", the slogan hurled at certain period instrumentalists, might in the case of the five-disc set of Music from the Middle Ages, by Studio der Frühen Musik under Thomas Binkley (Virgin 338137 2, ), be better replaced by "medieval hippies".


Try the fifth disc in this varied compendium of music from the time of the troubadours, a collection called "L'agonie du Languedoc", and the seventh track with its hypnotic refrains; the singer Claude Marti sounding as modern as any folk-club balladeer.




『The Independent』


ところで、この「ヒッピー」たちは、13世紀に滅亡する。教皇インノケンティウス3世による異端アルビ派(カタリ派)討伐、アルビジョア十字軍によって、オク語文化圏である中世南仏国家(オクシタニアOccitania)は壊滅させられたからである。

カタリ派思想の根本は、この世は悪であるという思想にある。世界を悪と考える思考法はグノーシス主義などに由来するものであり、歴史の中で繰り返しあらわれている。本来、単なる反聖職者運動だったカタリ派ボゴミル派からこの思想を受容したと考えられている。カタリ派ではこの世界は「悪なる存在」(グノーシス主義ではデミウルゴス)によって創造されたと考えていた。カタリ派が古代のグノーシス主義と違っていたのはデミウルゴスをサタンと考えたことにあった。又、カタリ派は、人間は転生すると言う信仰を持って居たと伝えられる。これは、この宗派が、何らかの形で仏教の影響を受けて居た可能性を示唆するのかも知れない。




ウィキペディアより

カタリ派内部諸分派の相違は知覚できる世界の創造の捉え方にかかっているが、これを悪霊(デモン)に帰する点で最終的に一致している。実に、悪の原因がこの世界にある以上、現実世界を悪霊(デモン)の所産とするほかに道がない。
ただちに気のつくことだが、絶対二元論派のほうがマニ教に近い。最初から相互に独立して存在する二つの原理を考えるからである。悪しき諸力が善神の国を攻撃したという神話も、彼らに受け継がれた。悪霊(サタン)とその背属は、天に攻めのぼって征服しようとした。天使聖ミカエルは撃退しようとして、たちまち敗れた。こうしてカタリ派神話のなかに「原人」の敗北が再び見出される。地上への移住と生存は、試練とされた。ここには、ピタゴラス派やマニ教の現世即地獄という観念が見られる。したがってカタリ派も彼ら同様、現実世界について深刻な悲観思想を抱いていたのである。





フェルナン・ニール『異端カタリ派 (文庫クセジュ 625)』(渡邊昌美 訳、白水社) p.52-53

ローマにとってカタリ派は、カトリック教会成立以来の最大の脅威となった。ローマ教会は、統一されたカトリック教権帝国である中世西欧世界の心臓部で、古代の教父たちがそれと闘い撲滅したはずの異教的異端派が、悪魔の生命を得て甦り癌病巣のように急速に増殖するのを目撃して恐慌状態に陥った。


(中略)


アルビジョワ十字軍は、「かの邪悪にして倣岸なるプロヴァンスの民を懲らしめ、悪意を抱いてみだりにローマ聖庁の非を鳴らすのをやめさせるため」に、三十万という未曾有の大軍をもって、モンペリエからカルカソンヌに進攻した。1244年、カタリ派最後の山岳拠点モンセギュール城砦が陥落するまで前後三十六年にも及ぶ、凄惨なアルビジョワ十字軍戦争が開始されたのだった。
十字軍による残虐と蛮行はかつてないものだった。皆殺しにすべき異端と保護すべきカトリック信者とをどうやって判別したらいいのかと問われた従軍僧の長でシトー院長のアルノーアマルリックは、「すべてを殺せ、神は神のものを知り給う」と命じた。緒戦のベジエ陥落の際だけでも、少なくとも三万人が虐殺され、町は略奪され、放火され、二日間にわたって燃え続けた。市民も兵士も、女も子供も、異端もカトリックも、そこに住んでいたというだけで区別なくまったく平等に殺戮された。




笠井潔『サマー・アポカリプス』(創元推理文庫) p.46-47

カタリ派や(同様に異端とされた)ワルドー派はもともとはキリスト教を改革しようという民衆運動に端を発したものでフランシスコ会などの托鉢修道会と同じルーツにもとづいたものであった。同じ運動から発していても、あるものは異端に、あるものは正統派運動へと分かれてしまったことは歴史の悲劇であるが、カタリ派信徒の中には托鉢修道会に合流したものもあったという。




ウィキペディア

ローマ教会がアルビジョワ十字軍を派遣してこの一派をほろぼすまでは、南仏地方こそ、もっとも高度な知的自由がゆるされ、あらゆる思想がぶつかりあうことなく交流しあって、しかも同じひとつの深い精神性に生かされた、みのりゆたかな風土をつくり上げていたのである。


武装したヨーロッパが、この豊穣な文明の地を破壊するまでは、地中海地方は東洋と西洋をつなぐ場所であり、カタリ派は、プラトン思想や古代秘教の伝統を正しくうけつぎ、開花されてきたのであった。いわば、人間が超自然とふれあっていたところ、超自然との正しい関係の中で、真に人間的な「架け橋」を求めていた場所がそのまま現実化されていたのであった。


しかし、力がこれをほろぼしてしまった。シモーヌ・ヴェイユが何より糾弾するのは、世俗権力としてのローマであり、その公認宗教となったローマの正統派キリスト教であった。歴史は権力者にほろぼされたいくつかの過去のすぐれた文明の所在をさし示している。たとえばトロイアの文明、ケルト民族のドルイドの宗教精神などである。アルビ派もその一つであろう。




田辺保『シモーヌ・ヴェイユ』(講談社現代新書) p.161-162

神についてどんな体験もしたことがないふたりの人の中で、神を否認する人の方がおそらく、神のいっそう近くにいる。
触れることがないという点を別として、にせの神は、あらゆる点で真の神に似ているのだが、それはいつでも真の神に近づく妨げになる。
存在しないという点は別として、あらゆる点で真の神に似ているひとつの神を信じること。というのも、神が存在するという地点に、まだわたしたちはやってきてはいないからである。




シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)』(田辺保 訳、ちくま学芸文庫) p.190

隣り合わせの独房に入れられ、壁をこつこつとたたいて通信しあう囚人ふたり。壁は、ふたりを分けへだてているものであるが、また、ふたりに通信を可能にさせるものでもある。
わたしたちと神のあいだも、そんなぐあいだ。どんな分けへだても、きずなになる。




ギリシア人における<架け橋>。──わたしたちもそれらを継承した。だが、それらをどう用いればよいのかを今では知らない。




シモーヌ・ヴェイユ重力と恩寵』 p.236-237

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