HODGE'S PARROT

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浅羽莢子さん逝去

翻訳家の浅羽莢子氏が亡くなった。「本格ミステリ作家クラブ」のサイトによると9月18日のことだったらしい。

ドロシー・L・セイヤーズジョナサン・キャロルなど、浅羽氏の訳業によって読むことができた海外作品は、本当に多い。もう彼女の翻訳作品が読めないと思うと、とても残念だ。
思い出に残っている作品──例えば、ジョン・フランクリン バーディンの『悪魔に食われろ青尾蠅』(翔泳社)。マーガレット・ミラーを思わす「ニューロティック・サスペンス」(「サイコ」ではなく「ニューロティック」という言葉を使いたい)の傑作で、その独特の雰囲気、まさに戦慄が走るほど魅力的だった。

悪魔に食われろ青尾蠅 (Shoeisha・mystery)

悪魔に食われろ青尾蠅 (Shoeisha・mystery)


エドマンド・ホワイト『螺旋』(早川書房)。言わずと知れた著名なゲイ作家の作品。浅羽さんはホワイトも訳していたんだな。

螺旋 (夢の文学館)

螺旋 (夢の文学館)

Caracole (Vintage International)

Caracole (Vintage International)



そして浅羽莢子の文章として印象に残っているのが、別冊宝島63『ミステリーの友』(JICC出版局)の掲載された二つのテクスト、「セイヤーズに学ぶ女性の自立」と「英国ミステリー、女王の系譜」だ。ドロシー・セイヤーズ作品が創元推理文庫から翻訳される前のもので、短いながらもセイヤーズの魅力を十二分に伝えている。この文章を読んで──P・D・ジェイムズセイヤーズ礼賛もあって──セイヤーズを読みたい!と激しく思った。
セイヤーズに学ぶ女性の自立」にはセイヤーズの、当時の女性としては「破天荒な」生き方が記されている。1893年に生まれたセイヤーズは、オックスフォード大学サマヴィル・カレッジを首席で卒業、1921年にコピーライターとして広告会社に就職する。1923年には『誰の死体?』を出版し作家になる。そして1924年、「父親のわからない子供を誰にも知られずに生み落とす。

<作家>と職業まで正確に記入した出生届をきちんと出しておきながら自分では育てず従妹の老嬢に預け、しばしば会いに行って大学まで出してやるにもかかわらず、結局、最後まで母親代理で押し通す。その一方で1926年には結婚し、定職を持たない夫と自分と預けた子供の生活を維持するために勤めを続け、ミステリーを書き続ける。
9年間勤めた会社を辞めた後はダンテの研究に打ち込み、『神曲』の新訳をライフワークとしたが未完成のまま、1957年に二足のわらじを履くキャリア・ウーマンであり、未婚の母であり、結婚後も実質上の世帯主であり、学者でもあった六十四年の生涯を閉じたのだ。




セイヤーズに学ぶ女性の自立」

そういった作家の「自立心」は小説のヒロイン、ハリエットにも表れている、と浅羽氏は指摘する。ハリエットは、頑なまでに、ピーター・ウィムジイ卿との「対等な立場」であることにこだわる。男性からの、まるでプレゼントであるかのような「結婚の申し込み」を侮辱だと考えている。ハリエットは、当時としては考えられなかったタイプの女性なのである。
しかし浅羽氏がこのセイヤーズに関する文章で最後に書き記すのは、そのような女性を「受け入れる男性」についてである。

一つ忘れてならないのはピーターの描かれ方で、自立した女性から見ての理想の男性として描かれているのは確かだが、現代男性に手本としてほしいのは、自分がハリエットの仕事に貢献できたと知った時の喜び方である。男女ともに互いの能力と業績を正当に評価し、妥協を排し真実を見つめるべきだというセイヤーズの五十年前の主張を実行に移す人がもっとふえてもいい頃じゃないだろうか。




セイヤーズに学ぶ女性の自立」

学寮祭の夜 (創元推理文庫)

学寮祭の夜 (創元推理文庫)


そうそう、『ミステリマガジン』にも「ミルクが先よ」というイギリスに関する浅羽氏のエッセイが連載されていたっけ。この「英国人のジョーシキ」も楽しい読み物だった。



ご冥福をお祈りいたします。