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ディスインフォメーション 〜リチャード・ディーコン『情報操作』




リチャード・ディーコンの『情報操作 歪められた真実』(THE TRUTH TWISTERS Dis Information, 1986)から第3章「マスコミと書籍を利用する」。
ここでディーコンは、マスコミ界ほど情報操作が効果的に浸透した分野は他に見当たらない、と断言する。しかも、それは、新聞、雑誌、ラジオ、テレビだけに止まらない、ノンフィクションや小説も「ニセ情報に豊かな土壌を提供している」と書く。
まず彼が指摘するのは『大英百科事典(エンサイクロペディア・ブリタニカ)』という「権威ある」書籍についてある。

『エンサイクロペディア・ブリタニカ』は長いこと正確さ、客観性、詳細な情報のお手本とみなされてきた。いまでも多くの点でたしかにそのとおりだが、ある分野ではブリタニカも、その情報の正確さについて重大な疑念を禁じ得ないし、現に意図的なニセ情報に出食わすこともある。
これは同百科辞典が、ソ連圏諸国で発行されているデータやプロフィールを用意するのに、ソ連圏諸国の人たちを使っているためだ。その結果ある時は事実と違う情報を提供することにより、またある時は重要なデータをわざと除くとこにより、ソ連や東ヨーロッパ諸国の誤った見解がしばしば同辞典に供給される。ソ連圏からの寄稿者は、自国の政府が承認した情報だけを提供することになりがちだ。


(中略)


さらに同百科辞典には、次のような記述がある。「(ソ連憲法の第121条はすべてのソ連市民に対して教育の権利を保証しており、よく整備された統一的な教育機関のネットワークが全国を網羅している。1960年代を通じて、教育への支出は二倍以上増大した。教育は無料で、教育機関の建物はすべて国家の経費で維持されており、学生に対しては奨学金の補給もやはり国費でおこなわれている。
これはソ連にとって大変結構なプロパガンダであるが、全体像を物語ってはいない。第一に、何を教えるか、個々の市民にどんなタイプの教育を受けさせるかをソ連政府が決めていることには触れていない。これによって西側よりも多くの技術者やエンジニアを育てることができるだろうが、どんなことを学ぶかも政府が一方的に命令する。第二に教育は無料かもしれないが、ちゃんと規則のヒモがついている。その一つは一定の就職先を決めるもの、もう一つはすべての卒業生が当局の指定する勤務地に赴任しなければならない、というものである。最後に高等教育を受けた三十歳までの男性は、必要に応じて動員令に服さなければならない。




『情報操作』(小関哲哉 訳、時事通信社)p.65-67

リチャード・ディーコン(Richard Deacon)は、『サンデー・タイムズ』紙の外信部長を務めたジャーナリストで、どうやら「反共の人」でもあるようだ。「ケンブリッジ使徒会」を扱った『ケンブリッジのエリートたち』(The Cambridge Apostles, 1985)でも、いわゆる「ケンブリッジ・サーカス」の面々──キム・フィルビー、ガイ・バージェス、アントニー・ブラント、ドナルド・マクリーン*1にかなり攻撃的だった。

ヴィクトリア時代の後期において、性の問題は一般に社会的会話のタブーであったが、使徒たちはまったく自制しなかったばかりか、むしろ話題にせずにはいられなかった。冒涜と猥褻の問題についての論文は「猥褻なのは読む者か書く者か?」と問うていた。「男は男と結婚すべきか?」という質問を問う論文もあった。




リチャード・ディーコン『ケンブリッジのエリートたち』(橋口稔 訳、晶文社)p.94

上記のディーコンの「調査」は、使徒会を批判している……かのような部分なのだが、これってミシェル・フーコーの『性の歴史 知への意志 (性の歴史)』の議論を彷彿とさせるものだ。「皮肉なことに、同性愛は熱烈なキリスト教信者と、無神論者の両方に多かった」(p.92)「「アキレウスパトロクロスか?」これは、愛情と友情についての論文を書く時、ムアが選んだ表題である。この主題に「高級なソドミー」を含めるつもりで、これを選んだことは明らかである」(p.94)「ホブハウスは「胎児にふさわしく桃色で明るく見え」たからである。彼は直ちに、ケインズの同性愛の相手に選ばれた。ケインズはホブハウスに宛てた手紙で、「いつまでも変わらぬ愛をこめて、JMK」と署名した。」(p.99)
それにしてもディーコンの、「高級なソドミー」とスパイをめぐる「情報操作」は、不思議と熱が入る。やたらと攻撃的なのだが、しかし別の効果も帯びる。彼は使徒会やブルームズベリー・グループのメンバーに性を語らせる。これまでいささか退屈だった固有名詞の羅列が、ここで勢い色めき立ち、人物のキャラクターは精彩を放つ。性の言説は増殖する。


写真は映画『アナザー・カントリー』(ANOTHER COUNTRY)のガイ・ベネット役のモデルとなったガイ・バージェス。ロマンティックに、メロドラマ風に脚色=「情報操作」された映画の中で、ルパート・エヴェレットが演じていた。

アナザー・カントリー [DVD]

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The Apostles came to public attention again following the exposure of the Cambridge spy ring in 1951. At least four men with access to the top levels of government in Britain — two of them former Apostles — were found to have passed information to the KGB. The four known agents were Guy Burgess, an MI6 officer and secretary to the deputy foreign minister; Anthony Blunt, MI5 officer, director of the Courtauld Institute, and art adviser to the Queen; Donald MacLean, foreign office secretary; and Kim Philby, MI6 officer and journalist.




Cambridge Apostles [Wikipedia EN]


ケンブリッジのエリートたち』(晶文社)の訳者である橋口稔氏は「解説」で、ディーコンにサッチャー政権と軌を一にするようなナショナリズムの傾向があることを指摘している──そのことは付け加えておきたい。

しかし、そういったディーコンの政治的立場を差し引いても、彼の「調査」は傾聴に値する。例えば「反ユダヤ情報操作ゲーム」について。

ユダヤ、反シオニズムのニセ情報は、このプロパガンダ・ゲームで一世紀以上にわたり最大の悪の一つとなっている。悲劇なのは、これがユダヤ人の敵によって作り上げられ、ばらまかれた、世界中でユダヤ人の評判に泥を塗ることを狙いとしたものであるにもかかわらず、基本的にまともな人たちまで、シオニスト一派による世界征服の陰謀といった話を面白がって、つい真に受けてしまうことがある点だ。




『情報操作』p,68

セルゲイ・ニルスが出版した『シオンの長老の議定書(シオン賢者の議定書)』(Protocols of the Elders of Zion)は、まず帝政ロシアの宮廷や支配階級の間で広まった。ウィキペディアという「百科辞典」によれば、この「議定書(プロトコール)」は、

当時反シオニズムを掲げていたロシア帝国のオフラーナ(秘密警察)による偽書であると断定されている。ロシア秘密警察は、ロシア民衆の不満を皇帝からユダヤ人に向けさせるためにこの本を作成した。

『シオンの長老の議定書』は1921年、『ロンドン・タイムズ』紙のコンスタンチノープル特派員フィリップ・グレーブスが「偽装文書」であると曝露し(この誇らしげな叙述にもディーコンの英国賞賛が窺える)、1934年にベルヌの法廷で偽造文書であることが確認されたにもかかわらず、現在でも、まことしやかに流通し、政治的に、プロパガンダとして「利用されて」いる。
また、1985年にはソ連の国営タス通信が、ソ連の読者向けにユダヤ人/イスラエルを強く攻撃する内容の声明を出した。どうして「この時期を選んで」このようなプロパガンダソ連が発したのか? ディーコンは中東問題に対するソ連の介入増大の一環だったと述べる。
しかしディーコンが最も危惧する情報操作は、以下のような場合である。

だが反ユダヤプロパガンダは、西側のソースからも流されている。しかも反ソを主張している、際立って右翼の雑誌や団体が、反ユダヤの旗振り役をしている。
例えば1980年のアメリカ大統領選挙民主党の候補指名に名乗りをあげたこともあるリンドン・H・ラルーシェが編集・発行している『エグゼクティブ・インテリジェンス・レビュー』は、イスラエルを「ファシスト」呼ばわりし、次のように主張している。「ソ連ヨルダン川西岸へ入植させるユダヤ人のイスラエルへの集団移住を認めるという”にんじん”をイスラエルの目の前に突きつけて、それと引き換えに”新ヤルタ協定”をイスラエルに飲ませている。イスラエルアメリカとの同盟関係から手を切って、親アラファト派のパレスチナ人とアラブ穏健派諸国の政権を一掃するため、ソ連の従属国であるシリアと力を合わせるだろう」


ユダヤ情報操作の最も危険なところは、必ずしも臆面もないプロパガンダではなくて巧みに事実をねじ曲げ、時には反ユダヤ的傾向を全面的に否定している新聞、雑誌、ニュースレター、さらにはテレビ番組にまで浸透することである。なお悪いことは、ソ連の政策に反対する多くの右翼系定期刊行物が、ユダヤ人に対する悪質なナンセンスを印刷することによってかえってソ連を手助けしている。




『情報操作』p.69-70


まあこれは、「ソ連」を「アメリカ」に、「右翼」を「左翼」に置き換えても、十分通用するだろう。
さらにディーコンのジャーナリストとしての経験、嗅覚が指摘するポイントを挙げておきたい。

モスクワから世界中のソ連大使館に、ニセ情報を植え込むための行動について指令が飛ぶ。定期刊行物やそのオーナーよりも、影響力のあるライターを味方に引き入れる努力が集中的におこなわれている。ソ連の情報操作を指令する人たちは、そうしたライターのほうが自分の記事の中に注意深く選んだ文章を二、三忍び込ませやすいのをよく知っている。これに対し西側民主主義社会の新聞のオーナーや編集者が自分の意見をあまり強く押し出そうとすると、不必要に注意を引いてしまう。




『情報操作』p.72

KGB の訓練マニュアルによると、情報操作は「国家の任務を遂行するうえで必要不可欠であり、ソ連の国家政策、軍事・経済の状況、科学技術上の成果など基本的な問題について敵を間違った方向に導く。特定の帝国主義諸国の政策を他の諸国と互いに衝突させ、国家保安機関の防諜任務を遂行するのにも欠かせない」とはっきり記されている。(「CIA 報告──ソ連の非公然活動とプロパガンダ」より)




『情報操作』p.75

情報操作のゲームは、ノンフィクションものだけでなくフィクションの分野でも演じられている。東側でも西側でも、小説は相手国を困惑させる目的で作られている。1914年以前には、こうした小説はもう少し違っており、もっと積極的で愛国的な狙いを持っていた。それは外部からの侵略、とりわけドイツの脅威に対して警告するためのものだった。




『情報操作』p.78-79

ソ連は過去数年間、ユネスコとイギリス全国の学校を通じて大規模なプロパガンダ・キャンペーンを展開している。ユネスコには、イスラム教徒の事務局長アマドウ・マハタル・ムボウという味方がいる。政治面ではユネスコは、ソ連流の”人民の権利”という考え方を推し広め、パレスチナ解放機構PLO)に資金援助し、承認されたジャーナリストしか第三世界諸国での報道を認めない新世界情報秩序を推進している。パテ事件*2以降もユネスコ内部でスパイが摘発されており、1982年にはユネスコ職員のうち12人がソ連のスパイだったとしてフランスから追放された。




『情報操作』p.83

ボリス・ポノマレフは学者風なところがあり、自分でも何冊かの本を書いているが、自ら編集した『ソビエト政治辞典』の中で情報操作(ディスインフォメーション)に定義している。それによるとこの言葉の語源はポーランド語で、情報操作とは「誰かを本筋から踏み外させることを目的に不正確な情報を国際的に提示すること」だという。
これほど明確な定義は、ほかにあるまい!




『情報操作』p.85-86

情報操作―歪められた真実

情報操作―歪められた真実

ケンブリッジのエリートたち

ケンブリッジのエリートたち

*1:キム・フィルビーは「使徒会」に所属していなかった。またマクリーンは使徒であったという記録があるが、ディーコンの調査によればそれを裏付ける証拠はない、ということだ。

*2:1979年、フランスの著名な映画監督の息子シャルル・ピエール・パテが、「ソ連のニセ情報を継続的に流していた」として逮捕され、禁固5年の実刑判決を受けた。パテは当時パリのユネスコ本部で働いていた。パテの上司でソ連ユネスコ職員アレクサンドロビッチ・プズネツォフは外交特権を使って訴追を免れ、国外追放になった。