HODGE'S PARROT

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ジョン・ル・カレ『リトル・ドラマー・ガール』



イスラエル人に会ったことはあるかね」クルツ*1がきいた。
「自分が知るかぎり、ないはず」
ユダヤ人全体に、なにか人種的反感を持っていないかな。ユダヤ人がユダヤ人であることにたいしてだ。われわれはいやなにおいがしないかね、テーブル・マナーがいやじゃないかね。いってくれ。そういうことは理解できるつもりだ」
「よしてよ、ばかばかしい」彼女(チャーリー)の声はどこかおかしくなっていた。それとも耳のほうだろうか。




ジョン・ル・カレ『リトル・ドラマー・ガール』(原題『The Little Drummer Girl』、1983年刊、村上博基 訳、ハヤカワ文庫NV)上巻 p.199


最初にイスラエル人を狙った爆弾テロ事件が起きる──ヨーロッパ各地でイスラエルユダヤ関係者を狙った爆弾テロが勃発していた。しかしそれは、文庫本上下巻800ページ以上の長編小説のほんのプロローグに過ぎない。物語の大部を占めるのは、イギリス人の女優チャーリーがイスラエル情報機関にスカウトされ、イスラエルのために働くスパイに「なること」である──人はいかにしてスパイになるのか、である。
イスラエル当局は、チャーリーをスパイにしてレバノンにあるパレスチナ・ゲリラのキャンプへ潜入させ、爆弾テロの情報を得る作戦計画を立てる。もちろんその計画は非常に周到である。まず、チャーリーをスカウトするまでが、実に周到である。自堕落で左翼思想に被れた──したがってどこか反ユダヤ主義的な傾向がある*2──イギリス人女優を転向させるために、ジョゼフという男性が送り込まれる。ここでの展開は、まるでメロドラマだ。しかし、これこそが、チャーリーという人物のパーソナリティ──どういう性格であるか、どういった家庭環境に育ったのか、思想信条(宗教)、教育のレベル、スパイに必要な記憶力も含めた「能力」、友人・知人たち(チャーリーも含めラディカルな政治思想を持つ──持っているだけの──反体制派たちであるが、しかし自堕落な彼らが生きていけるのは、彼らが軽蔑する西洋資本主義に彼ら自身が「包摂」されているからなのである)……が、つぶさに「ファイリング」されていく。イスラエル当局に、そして読者に。
次の段階が、スパイとしての訓練である。これがこの小説の中心と言ってもよく、終盤になって、ここでのエピソードが実際のスパイ活動と「繋がる」のだ。
訓練。それは、徹頭徹尾、パレスチナに共感しパレスチナ人のために働く「西欧人のテロリストになること」である。それがチャーリーに与えられた/許された唯一のアイデンティティ=配役である。イスラエル人のジョゼフは、アラブ人の活動家ミシェルになる──本物のミシェルは、すでにイスラエル当局により拘束されていた。チャーリーの役はそのミシェルの恋人である。二人はシオニストを憎み、パレスチナのために戦う戦士なのである。アラブ人としてのミシェル(ジョゼフ)は、チャーリーに西欧諸国とシオニストに対する怒りを「自身の怒りとして」説明する。

「……1948年以来、郷土を追われ市民権を奪われた、キリスト教徒と回教徒のアラブ人は二百万以上。彼らの家と村はブルトーザーで踏みつぶされ──彼はその数をあげる──彼らの土地は自分たちのあずかり知らぬ法律によって収奪され──全体で何ドゥナムになるかおしえる──1ドゥナムは千平方メートルだ。きみがたずね、彼がおしえる。身ひとつで逃げ出すと、こんどはおなじアラブ人が、彼らを殺し、塵あくたのように扱い、さらにイスラエル人が、まだ彼らが抵抗するといっては難民キャンプを爆破し、砲弾を浴びせかける。土地を追われることに抵抗するのは、テロリストであるということであり、ひきかえ、植民地化を押し進め、難民を砲撃し、住民を大量殺戮する──これは不幸なる政治上の必要である。アラブ人の死者千人は、ユダヤ人の死者ひとりに値せぬ。いいか」彼はのりだして、彼女の手首をつかんだ。「西側リベラリストのなかで、チリ、南アフリカポーランド、アルゼンチン、カンボジア、イラン、北アイルランド、その他当世はやりの紛争地点での不正行為にたいし、非を鳴らすのをためらう者はひとりもいない」手に握力がくわわった。「だが、”イスラエルの三十年は、パレスチナ人を地上のあらたなユダヤ民族にした”という、史上最も残酷なジョークを、声を大にいうだけの勇気を持ったものがいるか。シオニストがわれわれの国を奪う前になんといっていたか知ってるか。”土地なき民のために、民なき土地を”だ。われわれは最初から存在しなかったのだ!……シオニストの頭のなかでは、すでにジェノサイドが完了していたのだ。事実はあとからやってきた。そして、この一大ヴィジョンの作者は、きみたちイギリス人だったのだ。イスラエルがどうやって生まれたか知ってるか。ヨーロッパの一強国が、アラブの領土の一部をユダヤ人ロビーにプレゼントしたのだ。その領土の住民の、ただひとりにも相談せずにだ。その強国とはイギリスだ。イスラエルがどうやって生まれたか、つぶさにきかせようか……」





上巻 p.346-347


周到なイスラエル情報員としてのジョセフ(ミシェル)は──すなわち周到な作者ジョン・ル・カレは──すでにチャーリーに対し、「われわれはバークリアンだからね」とイギリスの哲学者バークリーの認識と存在の議論を示していた。「われわれが存在しなかったら、どうして彼らが存在する」と(上巻 p.289)。
ただし、この部分は、非常に読みづらく、混乱する。それはイスラエル人ジョゼフが「アラブ人ミシェルとして」語っていたかと思うと、「ジョゼフとして」チャーリーに「演技指導」をし、チャーリーもジョゼフを愛するイギリス人の女優から、ミシェルの愛人としてテロ活動の準備をする人物として描かれているからだ。しかし先にも書いたように、この部分が、後半、チャーリーがパレスチナ・キャンプに潜入した際の、そして実際に爆弾テロの標的になるヨーロッパの「ある都市」──都市名は暗号になっており、サスペンスを高める──にチャーリーたちが潜入した際の、様々な出来事に繋がっていくのだ。


西洋資本主義の外部にあるパレスチナ・キャンプは、自堕落なんてものはない。空談も曖昧性も、ない。つかの間の生があるだけだ。子供たちはすでに一人前の戦士である。チャーリーはキャンプでゲリラの大物タイエーに会う。そこで彼が繰り返し強調するのが、「我々はシオニストを憎んでいるが、反ユダヤ主義者ではない」、ということだ。なぜか。それは「パレスチナのために」協力している西欧人の活動家たちが、反ユダヤ主義的であるからだ。
反ユダヤ主義、これはまさしくキリスト教徒の発明だ」「きみたちヨーロッパ人は、だれにでも反対する。反ユダヤ人、反アラブ人、反黒人。ドイツにわれわれの友人は大勢いる。だが、彼らがパレスチナが好きだからじゃない。ユダヤ人がきらいだからにすぎない」とミシェルの兄でテロの実行犯の一人ハリールも言う(下巻 p.337)

「よくイギリスに一分でもがまんできるわね」レイチェルはいって、石けんとタオルを用意した。「あたしはあの国を出るまで、十五年がまんしたけれど。ほんとうに死にたかった。マクルズフィールドってとこ知ってる? 地獄よ。すくなくともユダヤ人にとっては地獄。あの階級社会と冷淡と偽善。ほんと、ユダヤ人にとって、マクルズフィールドはこの世でいちばんみじめなところだと思うわ。脂くさいといわれるから、お風呂にはいるとレモンジュースで肌をこすったものよ。」




上巻 p.263


しかしパレスチナの人々は「そんな頽落した西欧人」に頼らざるを得ない。ドイツ人の「同志」はチャーリーに「他人事のように、単なる好奇心であるかのように」語る。「なにをした人だと思う、このベルトルって。フランシスコ修道士で、有名な錬金術師で、火薬を発明したの。神を愛するあまり、神の被創造物たちに、たがいにふっとばし合いをおしえたの。そこで善良な市民が、銅像を建ててあげたってわけ。当然だわね」(下巻 p.319)

西欧人の協力者/同志によってイスラエル人を狙った爆弾テロは刻々と計画が進んでいる。ハリールはチャーリーに語る。

「わたしがタイエーにいったことを知ってるか」
「いいえ」
「『なあタイエー、われわれパレスチナ人は、国を追われてもずいぶんと怠け者の民族だな。なぜペンタゴンにはパレスチナ人がいないんだ。なぜ国務省にはいないんだ。どうしてわれわれは、いまだに《ニューヨーク・タイムズ》を、ウォール・ストリートを、CIAをうごかしていないんだ。どうしてわれわれは、自分たちの偉大な闘争を描いたハリウッド映画をこしらえないんだ。どうしてニューヨーク市長に、最高裁長官にえらばれないんだ。医者や科学者や教師になるだけではだめだ。どうしてアメリカを動かせないんだ。それだからわれわれは、爆弾やマシンガンを使わなければならないのか』」


(中略)


「われわれはどうすればいいかわかるか」
彼女にはわからなかった。



(中略)


「われわれは打って一丸となり、彼らの町やセツルメントやキブツをたたきつぶしてでも、故郷の土地へ帰り、自分たちの家を、畠を、村を、みつけてとり返す。だが、そんなことはできっこない。なぜか。だれもついてこないからだ」彼はうずくまって、手がかりになる痕跡をのこしていないか、すり切れたカーペットを入念に調べた。
「われわれの金持ちは、ライフスタイルの社会的経済的下落に耐えられないだろう」おきまり語法を皮肉っぽく強調していった。「われわれの商人は、銀行や店やオフィスをすてはしない。われわれの医者はきれいな診療所を、弁護士はあくどい家業を、学者は居心地のいい大学を、けっしてあきらめはしない」彼はいって、彼女の前に立っていた。うかべた笑みは、自分のあらゆる苦しみにたいする勝利であった。「そこで金持ちは金をつくり、貧乏人は戦う。そうでなかったことがいちどでもあるか」





下巻 p.342-344

*1:イスラエル情報機関作戦責任者

*2:例えばスラヴォイ・ジジェクは左翼の反ユダヤ主義を次のように指摘している
”「反-ユダヤ主義批判にいたしますか、シオニスト批判にいたしますか? はい、どうぞ!」は、相互に排斥し合うどころか、秘められたリンクによって連み合っているのだ。現代左翼が吐く多くの言説には、例えば「ユダヤ人はいま、以前ユダヤ人に対して行われたことを他者に対して行っており、したがって、もはやユダヤ人はホロコーストについて不満を垂れる権利などないのだ!」といった言わず語らずの理由づけを以て、国家としてのイスラエルが占領地で行っていることをナチのホロコーストと直接的に同一視するといった、まさに反-ユダヤ主義に他ならない立場が存在している。”(『非-全体』(長原豊 訳、『現代思想』2005年11月号)