HODGE'S PARROT

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統治される者がもはや有徳な存在ではない場合に、その自律を通して統治するにはいかにすればよいか




先日のエントリー「キャリア女性は欧州より米国のほうが働きやすい」の最後で触れた、オーストラリアと日本の「パートで働く男性と女性それぞれの割合」の高さ──米欧に比べ約2倍に上る──について気になった。

で、酒井隆史の『自由論』を紐解くと、オーストラリアの失業対策の例が載っている。参照してみたい。

まず第一段階、そこでは「失業者」は福祉政策のもとで甘やかされた依存症の人間ということでスティグマ化されたうえで、市場とむすびついた諸価値によって鍛えなおされねばならない(ここは「失業者」が現在のポストフォーディズムという条件のもとで与えられた意味も関連している)。


1983年から96年まで政権の座についた労働党政府は失業対策として「ケース・マネージメント」アプローチを導入し、失業者の自己責任を強調しながら市場志向の目標を導入することで、失業者はいまや「求職者」(ジョブ・シーカー)として「問題化される」。そこでは失業した主体は homo oeconomicus として、つまり個人の選択、ライフスタイルの結果、失業を甘受している人間として把握されるのである。
政府はもはや失業した人間を単純に国の構成員、市民であるから、という理由で保護したりはしない。したがって失業者は、自助支援機関、ケース・マネージャーなどなどの助けを借りて、自分自身で活動しなければならない。




酒井隆史『自由論  現在性の系譜学』(青土社)p.119-120

注目されるのは、失業が「個人の選択」として把握されることだ。これが、ネオリベラリズム下での「失業者」をめぐる政策の転換となる。

労働はもはやヘーゲルの議論とは対照的に「社会的義務とは解釈されないし……労働の習慣の社会的効果によって個人を集団へと結びつける役割を主要に担うとも考えられない」。この論理は、ネオリベラリズムのみならず、ネオリベラリズムが破壊した(とされる)コミュニティの活性化を唱えるネオ社会民主主義のとりわけ都市の地域経済活性化の論理にまで通低するものである。


(中略)


そこにおける自由のエートスはこうである。「われわれのやり方で自由を行使するかぎり、君は君の自由を行使できる」



『自由論』p.120-121

ここでは「フレキシビリティ」をともなった「個人の活動」を活性化させることが、政府の主眼となる。

次の第二段階。1996年に政権についた自由党・国民党の新保守主義政府は、労働党政府が開始したネオリベラリズム改革をさらに推し進めて、就業保障という観念自体を廃止し、公的な援助による雇用形成、雇用促進助成計画から「手を引いた」。「職業紹介業者」の完全な競争市場を設立しようとしたのである。政府自身のエージェンシーすらも市場における競争者として再構築される。「国家と求職者のあいだの契約は、求職者と競合する”職業紹介業者”のあいだのおびただしい契約にとってかわる」。


ここでは先ほどのエートスはつぎのように変形する。「君が自由の行使において指導と訓練を必要とするのなら、まず自由をそんな指導と訓練へのアクセスを獲得するための雇用サーヴィスの消費者として行使したまえ」




『自由論』p.121

そして酒井は、「このネオリベラリズムの変異体(ヴァリアント)は、これまで市場の存在しなかった場所にまで市場を構築する。じつはこれは、競争的市場の作動のために社会環境を構築する、というところにどとまるオルドー学派の構築主義も知らなかった作用である」と記す。

これこそオルドー学派「構築主義」の「意図せざる帰結」なのではないか?

つまり、これは、塩原良和が『ネオ・リベラリズムの時代の多文化主義―オーストラリアン・マルチカルチュラリズムの変容』(三元社)で分析した、「反-本質主義」の「意図せざる帰結」とも通低する問題なのではないか。

すなわち、この「個別化された普遍主義」とは、マイノリティのエスニシティを反-本質主義によって武装解除し無力化したうえで、既成のナショナルな権力関係に組み込もうとする主流派ナショナリズムを正当化するものに他ならない。



このようなエスニシティの「個人化」は、ハワード政権のネオリベラル路線における福祉国家多文化主義批判とも符号する。なぜなら、それは集団としてのエスニシティ脱構築することで、エスニック集団に対して行われる社会福祉への正当性をも侵食するのだが、こうした社会福祉の抑制とはじつのところ、社会構造のなかで従属的におかれた集団(非英語系移民および先住民族)への社会福祉の抑制に他ならないからである。





塩原良和『ネオ・リベラリズムの時代の多文化主義』(三元社)p.207-208

しかもだ。「自由をそんな指導と訓練へのアクセスを獲得するための雇用サーヴィスの消費者として行使したまえ」と言うが、しかしその「アクセス」が阻まれることが、マイノリティの困難さなのではないか。

オーストラリアの多文化主義では、本質主義に構築されたエスニック集団向け社会福祉サービスへの「アクセス」が重視されてきた。このような「アクセス」の実現は1978年の「ガルバリー・レポート」前後から、1980年代以降の「主流主義」、「アクセスと平等」戦略を経て1990年代半ばまで、つねに中心的目標でありつづけてきた。
それに対し、ネオ・リベラリズム的な多文化主義解釈では、こうした「アクセス」重視の姿勢からの脱却が促される。


1990年代後半からの公定言説化したネオリベラル多文化主義では、オーストラリアにおける移民の国民統合は完成が近づいたという認識から、エスニック集団向け社会福祉政策をもはや不要なものとみなす議論が台頭してきたことは本書で論じたとおりである。そうした議論が次に目指そうとしたのは、文化的に多様な人々の国民社会への「参加」の促進であった。そのためには、エスニック集団向け社会福祉政策の「アクセス」の充実のために行われてきた「エスニック」の制度化はもはや逆効果であるとされ、人々は「エスニック」の枠を超えて国民へと「参加」することを促される。


(中略)


「アクセス」と「参加」の各段階にあるコミュニティが混在しているのが、多くの国民国家における常態であり、そのようななかで反-本質主義を過度に強調することは、いまだに「アクセス」への基盤が確立していないエスニック・コミュニティに不利に働いてしまうのである。




『ネオ・リベラリズムの時代の多文化主義』p.223-224


[『ネオ・リベラリズムの時代の多文化主義関連エントリー]

このことはポストモダニズムとニューライトの共犯関係を理解する上でも重要だ。イタリアのポストモダニズムは八〇年代、いまやポストフォーディズム社会を生きる人間の存在条件を構成しているフレキシビリティへの要請に、思想的基礎を与え、それを現状への無条件の肯定へと向けなおした。
ポストモダニズムの多くは、資本にたいしてよりは、すでに敗北していた勢力(モダンな批判勢力)にたいしてもっとも好戦的であり、その上で、主体の解体、脱中心化、分散化を無批判に賞賛することによって資本のポストフォーディズム的再編成にたいする抵抗を解除しながら、その「本源的蓄積」を支援した。


それゆえそのシニシズムは現存のルールへの無批判な支持となってあらわれる。ところがそうでありながら、ポストモダニズムのこのルールへの無批判性は、同時にルールへの軽蔑もはらんでいる。というのもそこでは、ルールはけっして尊重されるわけではなく、むしろ戯れの対象なのだから。フレキシビリティの賛美、そしてルールの尊重と軽視は、民主主義、あるいは「基本的人権」への嫌悪、軽蔑、あるいはあらゆる「建前」的なものへの侮蔑となってあらわれ、ニューライトの台頭を準備する協力なメンタリティとなっている。


メルッチはそれにたいして強い危惧を表明している(彼は潜在的ファシズムの核をそこにみている)。「制度的ゲームと戯れ、同時にそれを否定することは、ニューライトの根深い反民主主義的特長である」





『自由論』p.49-50

マーガレット・サッチャーは「社会のようなものはない」と高らかに宣言した。サッチャーにとって、<社会>とは、自由と背反するものであった──サッチャリズムハイエクの理論とともに、オルドー学派の「構築主義」も併せ持っていた。

近年イギリスではホームレスは「ラフ・スリーパー」と呼ばれているそうだ。酒井によれば、これはホームレス状態を「自発的選択の帰結」として「問題化」する方法だという。

自由論―現在性の系譜学

自由論―現在性の系譜学

ネオ・リベラリズムの時代の多文化主義―オーストラリアン・マルチカルチュラリズムの変容

ネオ・リベラリズムの時代の多文化主義―オーストラリアン・マルチカルチュラリズムの変容