HODGE'S PARROT

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ポーチマ刑務所にて

フリーマントルの『狙撃』には、ポーチマ刑務所とセルブスキー研究所というソビエトの「矯正施設」の描写がある。もちろん『狙撃』はフィクションである。が、しかしフリーマントルは『KGB』という著名なノンフィクションを書いていることは言うまでもないだろう。

ポーチマは、しばしば述べられているような単一の刑務所ではなく、むしろ一連の強制収容所群(グーラーグ)といってもよい。




ブライアン・フリーマントル『狙撃』p.357

そこは、まるで「月面」のようだった。

ヘリコプターの高度からは各バラックや小屋を識別することができ、それぞれが監視塔と、犬を連れた徒歩の哨兵による警備がなされていた。ときおり、首うなだれた人の列が、さらに多勢の犬を連れた看守たちに監視されながら、一つの作業から次の作業へと、自動人形のように足を運んでいた。各収容所のあいだを、ちょうどボタン孔から縫いとめる糸のように、曲がりくねった河が流れていた。ベレンコフの見おろす位置からみると、それは泥褐色というより黒色にみえ、うねくねと迂曲しながら全収容所を繋いでいるのだった。


ベレンコフは嫌悪にふたたびぞくっと身ぶろいした。英国でも拘禁生活は想うだにおぞましかったが、いま眼下に見ているものは、どれほど言葉をついやしても、それと比較し形容することが難しい。いや、難しいというより、不可能だと思われた。どんな言葉も文章も、その物凄さをつたえるのに不適当なのだ。彼はふたたび月の表面を想いうかべた──生きものが存在することのできない、あの場所を。




p.358-359

ポーチマ刑務所には、英国情報部のエドウィン・サンプソンが収容されている。

両の足首には枷がはめられ、短いチェーンで繋がれているので、すこしずつ足をひきずりながら歩くことしかできない。またそのチェーンの真ん中から長い金属の環がのび、胼胝で硬くなっている両手にはめた一対の手錠を結ぶ、これまた短いチェーンとつながって、しっかりと胴に固定されていた。頭は虱がたかるのを防ぐため坊主頭に剃られ、顔の皮膚は頬骨から顎にかけてぴったりと貼りついていた。その皮膚は外気に曝されているために黄ばんでいたが、眼元だけはちがっていて奥深くくぼみ、妙に黒ずんでいる。看守二人にはさまれた彼の姿勢は気をつけのかたちで強ばっていたが、敵意はうかがえず、懲罰を受けるような規律違反は犯すまいと心にきめているようだった。




p.364

しかし、その「収容所」ポーチマ刑務所よりも、サンプソンはセルブスキー精神研究所を恐れる。精神的拷問を恐れる。セルブスキー研究所は、ソビエトの「精神病院」であり、「精神的な治療」を行う矯正施設である。サンプソンは、そこで「薬物治療」を受けた。
ショックを誘導するアミナジンを投与された。発熱、体重減退、疲労をもたらす「懲罰用薬剤」スルファジンが使用された──高熱を発生させ、錯乱状態に陥れるものだ。
スルファジンは、ソ連の「精神病院」で用いられた、と注にある。