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西欧の核の下に、オランダ病




井家上隆幸『20世紀を冒険小説で読む』の第37回「核戦争の危機」(『ミステリマガジン』1994年9月号)。
扱われている情勢は、1980年代初頭のヨーロッパ。ソ連は戦域核「SS20」を配備、ヨーロッパを攻撃目標としている。一方、NATO側は、この措置に対抗すべく、モスクワを圏内にした「パーシングⅡ」ミサイル配備を決定した。東西両陣営とも軍事予算と核兵器の数量が増加した「小さな冷戦」の時代。米大統領ロナルド・レーガンは「限定核戦争はありうる」という声明を出した。

核兵器は、時に「恐怖の均衡」と呼ばれる特殊な形態のバランス・オブ・パワーを生み出した。力の基準は、物理的よりも精神的なものであった。双方とも相手が優勢に立つことを防ぐ方針であったが、結果はそれまでの制度とは違っていた。5大国間で同盟が推移した19世紀型のバランス・オブ・パワー・システムとは違い、冷戦期の均衡は、瞬時に互いを破壊することが可能な両超大国の間で保たれた。




ジョゼフ・S・ナイ『国際紛争 理論と歴史』(田中明彦村田晃嗣 訳、有斐閣)p.170


こうした状況の下、ヨーロッパ全域は「オランダ病」に見舞われる。近藤和子・福田誠之助編『ヨーロッパ反核79-82』(野草社)によれば、オランダ病とは、「核兵器の存在に対する不安、核兵器禁止のための長々とした実りない交渉に対する失望、全ヨーロッパを破壊に陥れる核戦争の予兆、核戦争に対する抵抗の盛り上がりという全ヨーロッパ的症状」に対し、アメリカのジャーナリストが名づけたものだ。オランダがその「発生地」だという。

そして、このような背景を描いたフィクション(ときにノンフィクション)を紹介し、現実の「情勢を読む」のが、井家上隆幸氏の連載であった。「デタント」と「軍拡」の80年代初頭は、それに対応すべく、米ソ両陣営で、「ハト派」と「タカ派」がしのぎを削る謀略合戦を展開していた、と井家上氏は指摘する。

取り上げられたフィクションは、

など。



ところで、このアメリカのジャーナリストが名づけた「オランダ病」の一つの症状として、「反核運動の盛り上がり」が挙げられるのだが、これら米欧で展開された反核デモは、実は KGB 工作員の煽動によるものだった、という指摘がある。例えばジョン・バロン『今日のKGB』(河出書房新社)の中で。
もちろん、C・アンドルー&O・ジェフスキー『KGBの内幕』(文藝春秋)のように、イギリスの核武装反対組織CNDが組織した巡航ミサイル配備反対のデモで25万人を動員したのはロンドン在住のKGB工作員だという告白について、ソ連大使館員は否定したことも書かれている。

そして目を惹くのが、吉本隆明の『「反核」異論』(深夜業書社)での発言。

世界的に波及した「反核」運動は、日本でも「文学者の声明」を生みだしたが、それに対して吉本隆明は「ヨーロッパの反核運動ポーランドの「連帯」を弾圧するソ連の隠れみのだ」。それなのに反核運動家たちは、ヨーロッパも日本も、なぜ「アメリカのレーガン政権を批判するならば、恐怖や恐慌の原因であるSS20の対西ヨーロッパ、対極東の配置の撤去をソ連に迫らないのか」と批判した。




井家上隆幸『20世紀を冒険小説で読む』第37回「核戦争の危機」p.93

ヨーロッパ反核79ー82―生きるための選択

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今日のKGB―内側からの証言

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KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史〈上〉

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