HODGE'S PARROT

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同性愛と共和党の弁証法

ヘーゲルははっきりと、<かつては習俗や言語や宗教の同一性が人々の結合のためには不可欠だったが、近代国家においてはそれはもう不可欠な要件ではない>といっている。また、<国家権力は国民の自由を最大限に認めるべきであって、国家が国民の生活のすみずみまでを監視するようなことはあってはならない>ともいっている。
(中略)
まとめてみよう。ここでのヘーゲルの考え方は、国家は外に対する防衛と国内の安全を確保するためのものであり、広く自由を認めることによってこそ国家はむしろ安定する。


西研ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)

共和党支持のゲイ&レズビアンで組織する団体、ログ・キャピン・リパブリカンズ(Log Cabin Republicans)が、「共和党と対立」している、とワシントンポストが報じている。
Log Cabins Go Against the GOP Grain [Washington Post]

The Log Cabin Republicans are looking less and less Republican

Log Cabin Republicans のウェブサイトによると、ログ・キャビンのメンバーは、「減税、小さな政府、強い軍隊」というポリシーを確信している「忠実な共和党員」であるが、昨年の大統領選挙ではブッシュ大統領への支持を明確に表明しなかった。それはブッシュ氏が同性婚を禁じる憲法修正に賛成の意を投じたからだ。

ログ・キャビンは、最近、代表者会議やニューオリンズで開かれるシンポジウム「Liberty Education Forum National Symposium」のプランをリリースしたのだが、それらの大半のアジェンダは「共和党的なもの」ではない。
中心は、ゲイ&レズビアンの市民権獲得のための闘争である。例えば「共同体の多様性」「家族の公正」といったトピックスは、「ゲイ、レズビアン家族」の保護と承認を求める最良の戦略として提起。「性的指向は選択なのか?」という議題では、同性愛に関する生物学的遺伝的見地からの研究者の講演が予定。「”Don't Ask, Don't Tell”に関する真理を調査する」という演題は、軍隊におけるゲイ差別ポリシー終焉への布石として重要だ。

これらの「理念」は、たしかに(現状の)共和党的資質とは相容れない「非同一」なものである。ゲイ&レズビアンの市民権は、未だに特殊なものとされ、共和党全体からは(そしてアメリカ全体からも)普遍的な「概念」として承認されていない。

エルネスト・ラクラウとシャンタル・ムフが『ヘゲモニー社会主義の戦略』(邦題『ポスト・マルクス主義と政治』)で打ち立てたヘゲモニーの観点をわたしなりに解釈すると、民主主義の政治体は排除によって構築されており、そのように排除されたものが、その不在に依拠して成り立っている政治体につねに回帰して、それに憑依するというものである。この憑依が政治的に有効になるのは、ひとえに、排除されたものの回帰によって民主主義そのものの基本的な前提が拡大され、分節化される場合である。ラクラウとジジェクが後載の論文で主張することは、いかなる民主主義の政治体も──つまりそのような政治体の内部でなされるいかなる個別的な主体位置の形成も──必然的に不完全なものであるということだ。


ジュディス・バトラー『偶然性・ヘゲモニー・普遍性』(竹村和子+村山敏勝訳、青土社

「その(共和党の、アメリカの)不完全さ」を全否定しニヒリズムに陥るか、それとも承認のための闘争を挑み、概念の諸規定の内在的な進展と産出をめざすのか。

支配的な自由民主主義の地平(民主主義、人権、自由……)を受け入れて、そのなかでヘゲモニー闘争に加わるか、それとも、そこで使われることば自体を拒否し、あらゆるラディカルな変化のもくろみは全体主義への道につながっていると判決を下す現在のリベラルな脅迫をたんに退けるという、対抗的な姿勢に立つというリスクを冒すか、である


スラヴォイ・ジジェク『偶然性・ヘゲモニー・普遍性』

ログ・キャビンのポリティカル・ディレクター Christopher Barron 氏は、グループを代表して発言する。わたしたちは共和党の古典的なヴィジョン──「自由の定義を拡大する原理」──を信じる、と。

"We believe in the classical vision of the Republican Party -- the principle of expanding the definition of liberty."

しかし、ヘーゲルが「時代精神」という場所から考えようとするのは、理想と現実の対立をただ解消して、現実をそのまま受け入れてしまうことではなかったのだ。むしろそれは、理想家であった自分が現実に絶望してしまわないための方法、自分の理想を鍛え直して強くするための方法だったのだ。


ヘーゲル・大人のなりかた』