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アメリカの保守革命

中岡望アメリ保守革命』(中公新書ラクレISBN:4121501268


保守主義リベラリズム。より「自由」を重んじるのは「保守」のほうである。一方、より「権力志向」なのは、「リベラル」のほうである。それは、

ニューディール政策アメリカ社会は大きく変貌を遂げてしまったと保守主義者は考える。
そうした状況の中で、保守主義ニューディール連合を最大の敵と見なすようになっていく。なぜなら、大恐慌は権力の連邦政府への集中を促進し、第二次世界大戦は戦争遂行のためにさらに連邦政府の権力を巨大化した。戦後も連邦政府福祉国家の実現を旗印にして、さらに肥大化を続けた。「連邦主義」を信奉する保守主義者は巨大な連邦政府に危機感を抱き、アメリカが”建国の理念”から逸脱し始めたと批判の声をあげるようになったのである。
(中略)
巨大化し、福祉国家を目指す連邦政府は個人の領域にまで介入し、個人の自由を侵害する存在と映った。

つまりアメリカのおける「リベラリズムVS保守主義」とは、まず、大雑把に言って、「大きな政府」&「福祉国家」VS「個人の自由」&「市場での自由競争」という構図になる。次に、保守主義者が主張する<平等>とは「機会の平等」のことである。リベラルの唱える「結果の平等」は「自由を阻害するもの」と看做される。

保守主義者たちはなぜリベラルに反対するのか。それはリベラリズムが最終的に「全体主義」に陥ると確信しているからだ。

「人間が万物の尺度」であるとする相対主義は、神という”絶対的な”価値観を否定することで、人間は自分のイメージに沿って社会を作り変えることができるというユートピア思想を生み出した。ユートピア思想は、実証主義や科学主義と結びつき、人々に受け入れられるようになってきた。だが、保守主義者によれば、社会は自分たちの意思によって作り変えることができるというユートピア思想は、最終的には全体主義に堕してしまう。なぜなら人間は不完全であるにもかかわらず、あたかも完全のごとく振る舞い、権力を握った個人や少数のグループが自らの意思を他人に強いるようになるからだ。すなわち、理性的に自己制御できないのが人間の変わらぬ本性なのである。ユートピア思想に取りつかれた人々は中央集権的な権力を作り出し、それが全体主義へと変貌していく。まさにファシズムやナチズム、共産主義は、そうしたユートピア思想の産物以外の何物でもなく、結果的に抑圧的な政府を作り出した。

保守主義の理論は、古くはエドマンド・バークに遡り、リチャード・ウィーバーラッセル・カークにより体系化される。さらに二人のオーストリアからの亡命者──フリードリッヒ・ハイエクとルードヴィッヒ・ミーゼスの経済理論が加わり、ミルトン・フリードマンの「マネタリズム」、そしてレーガン政権下における「サプライサイドの経済学」へと結実していく。
ハイエクによれば、保守主義リベラリズムの戦いは「ヨーロッパ文明と全体主義思想の相克から出てきた戦い」だという。彼は政府による強制、政府による裁量的な政策を否定する。

保守主義の中にはいくつかの「グループ」が存在する。伝統的な秩序や宗教的な価値観を重んじる「伝統主義」「クリスチャン・コーリション」、ケインズ主義(=ニューディール政策)に反対し市場主義を唱える「リバタリアン」、そして、元はトロツキスト民主党リベラルから鞍替えした「ネオコンサーバティブ(ネオコン)」。

「初期のネオコン」(または「冷戦リベラル」)と呼ばれる人々にはユダヤ人が多い。それは彼らがナチスドイツからの亡命者であり、また戦後はスターリニズムによってソ連ユダヤ人迫害を目の当たりにしているからだ。だから彼らは「全体主義」や「共産主義」を何よりも敵視する。

伝統主義者(ペイリオ・コンサーバティブ)たちと異なり、ネオコンは、知的に自分たちの思想を広めていく──シンクタンクの設立、学生組織、出版などによって。そして、同じ保守主義者(共和党支持者)でありながら、ペイリオコンらと「体質」の違いを見せるのは、次の一節に極まる。

ニューヨーク・タイムズ』紙の記者ジェームズ・アトラスは、一九九四年十一月にワシントンのジョージタウンにあるデヴィッド・ブロックの自宅で開かれたパーティに呼ばれた。ホストのブロックはカリフォルニア大学を卒業し、ノーマン・ポドホリッツの紹介で「ヘリテージ・ファンデーション」に職を得ていた。彼もネオコンとして知られ、自分が同性愛者であることを公表していた。もし伝統主義者であるか、クリスチャン・コーリションのメンバーなら、おそらく決して同性愛であることを告白したりはしないだろう。