HODGE'S PARROT

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クローゼットの見世物=スペクタクル化

米教育省、チェイニー妻の圧力により合衆国の歴史教育ガイドを大量廃棄暗いニュースリンク」より。

この記事に関して、僕はリン・チェイニーは娘のメアリーがレズビアンであることを認めていると思うのだが。そういえば、以前書いた記事を見ると、(このときは)リン・チェイニーが、夫と異なりブッシュの憲法修正に反対を表明していた、という内容であったし。

http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20040712#p1
http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20040727#p1

しかし、僕が「問題」にしたいのは、このことではない。リン・チェイニーが書いた『シスターズ』という本に関して、

心無いリベラル派からは「完全なレズビアン・ポルノ小説」と笑いのネタにされるが

という部分だ。このことは、保守/リベラルというのは「単なる政治・経済政策ポジション」であって、リベラル=正義ではないことを、如実に示している。

この『シスターズ』という本は、同性愛<だけでなく>、異性愛のラヴ・シーンもあるのに、これを「レズビアン・ポルノ」と呼び、<笑う>人物がいること──笑いの「ネタ」にされることだ。そのことが、何より「問題」なのだ。
これが、異性愛<だけ>のラヴ・シーンであったら、「ヘテロ・ポルノ」と「笑いのネタ」にされるだろうか?

この記事を読んで思ったのは、イヴ・コゾフスキー・セジウィックの『クローゼットの認識論』(外岡尚美訳、青土社ISBN:479175722X )に書いてあった、ロイ・コーンをめぐるホモ・フォビックな言説だ。
ロイ・コーンは赤狩りを行ったマッカーシー派の弁護士であった。ロイ・コーンは同性愛者であり、エイズで死んだ。問題は、ロイ・コーンの死亡記事の中に、マッカーシズムの犠牲者であった左翼の女性リリアン・ヘルマンが、ロイ・コーンがゲイであったことを仄めかして、「くすくすと笑っていた」ということが書かれていたこと。人の死に関しても、その人の性的指向ゆえに、「笑いのネタ」にされること。その「心無い行い」を働いたのが、左翼の人物であったことだ。
もちろんセジウィックの分析は、リリアン・ヘルマンの無礼さよりも、その「無礼さ」をさらに「ネタ」にする新聞へと向かっているのだが。

そして川原泉のヘイト・スピーチも同様だ。川原は、「子供が見るマンガ」に同性愛を「ネタ」にして、差別的なセリフを書いた。なぜ、同性愛それ自体が、「ネタ」になるんだ? なぜ「喜劇的」なんだ? 「異性愛それ自体」は「ネタ」にはならないのに、どうして「同性愛それ自体」は「ネタ」になるんだ? どうして「差別言語」とセットになっているんだ?

このことは、ホモフォビックな決まりごと=ヘテロセクシストの規範の「強制」に他ならない。川原は、「同性愛者に遭遇したら、こういう態度を取りなさい」と、子供たちに「教えて」いるようなものだ。同性愛を見世物=スペクタクル化しているだけでなく、差別的な「教育」まで行っているのだ。こんなことは、絶対に許せない。