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リプリーの友人たち



イギリスの映画監督・脚本家のアンソニー・ミンゲラAnthony Minghella が、3月18日、亡くなった。

Director Anthony Minghella dies [BBC NEWS]
Obituary: Minghella's stellar career [BBC NEWS]

「イングリッシュ・ペイシェント」のミンゲラ監督急死 [CNN]

イングリッシュ・ペイシェント」(1996)で米アカデミー監督賞を受賞した英映画監督アンソニー・ミンゲラ氏が18日未明、入院先のロンドン市内の病院で急死した。54歳だった。関係者が明らかにした。


英南部ワイト島でアイスクリーム工場を営むイタリア系移民の家に生まれ、大学卒業後に舞台や放送番組の脚本執筆を経て、映画の道に進んだ。映画監督を務めた代表作に「リプリー」(99)、「コールド マウンテン」(2003)がある。ロンドンやニューヨークでオペラ監督も務めた。

ご冥福をお祈りいたします。


ということで『リプリー』(The Talented Mr. Ripley)を観ながらこれを書いている。『イングリッシュ・ペイシェント』も『コールドマウンテン』も実は観たことがないんだけど、『リプリー』はもう何回も観ている。それほど好きな映画で、原作のパトリシア・ハイスミス/Patricia Highsmith の大ファンだ、僕は。

[The Talented Mr. Ripley (1999)]

トム・リプリーマット・デイモンMatt Damon
マージ・シャーウッド : グウィネス・パルトロウ/Gwyneth Paltrow
ディッキー・グリーンリーフ : ジュード・ロウJude Law
メレディス・ローグ : ケイト・ブランシェット/Cate Blanchett
フレディ・マイルズ : フィリップ・シーモア・ホフマン/Philip Seymour Hoffman
ピーター・スミス : ジェームズ・ダベンポート/Jack Davenport
ハーバート・グリーンリーフ : ジェイムズ・レブホーン/James Rebhorn

The Talented MR Ripley (Screen and Cinema)

The Talented MR Ripley (Screen and Cinema)

「マージとはうまくいっているさ」ディッキーはおまえには関係ないことだというようにぴしゃりと言った。「もうひとつ話しておきたいことがある、はっきりと」彼はトムをじっと見つめて言った。「ぼくはゲイなんかじゃないぜ。きみがそう思っているかどうかは知らないが」
「ゲイだって?」トムはかすかに微笑した。「ゲイだなんて考えたこともないよ」
ディッキーはさらになにか言いかけてやめた。日焼けした胸に肋骨を浮きだせて、彼は身体をぐいと伸ばした。「マージはきみのことをゲイだと思ってるよ」
「どうして?」顔から血が引いていくのがわかった。ディッキーのもう一方の靴を力なくぬいで、クローゼットにしまった。「どうして彼女はそんなことを? ぼくがなにをしたって言うんだ?」目まいがした。こんな風にはっきりと言われたことははじめてだった。
「きみの態度がさ」ディッキーは腹立たしげにそう言うと、ドアから出て行った。




パトリシア・ハイスミスリプリー (河出文庫)』(佐宗鈴夫 訳) p.110

このシーンは、トムがディッキーの服を着て鏡と戯れているところを当のディッキーに「見つかってしまった」場面。これが1955年に発表された作品だと考えると、これでも当時の「コード」を十分に越えているだろうし*1、この前後で多用される「クローゼット」はなかなか意味深だな、といまさらながら思える──アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督、Plein Soleil)でも「コード」すれすれに同性愛を暗示するエロティシズムを漂わせていた。ここでのマット・デイモンリプリーはちょっとコミカルで笑えるのだが。



ちなみにアラン・ドロン演じるトム・リプリーだとこんな感じ。
Alain Delon as Ripley

太陽がいっぱい [DVD]

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The Talented Mr. Ripley: A Screenplay で、アンソニー・ミンゲラ監督はこの「リプリーを態度」をはっきりと描写するのだけれども、それが他人事とは思えなくて苦笑しながら観ている──例えばバスタブに入っているディッキー(ジュード・ロウ)をじろじろと見ながら「僕も一緒に入っていい?」とか訊いたり、列車の中でディッキーの胸に顔をうずめたり!!! 
もちろん苦笑しているというのはあまりにも「図式的」でわかりやすい、という点なのだけれども。例えば、ディッキーをその愛ゆえに殺してしまうのだが、そのときのトムの「武器」がボートのオールで、その大きく屹立しているオールで相手を「刺し貫く」シーンは、西洋絵画を見慣れている目にとってはまさに「コードに従っている」という点でわかりやすい。
もちろん僕はトム・リプリー役のマット・デイモンの大ファンなので、いちいちそれが愉しい(もちろんアメリカのゲイ雑誌にもDVDの広告が載っていた)。しかも彼はこの映画ではピアニストという設定で、バッハの『イタリア協奏曲』なんかを弾いて、アメリカ人のヨーロッパへの憧れ──ヘンリー・ジェイムズ的な「伝統的な」ノリだ─もわかりやすくを演出している感じのキャラクターだ。その点で行けば、ディッキーなんかはヨーロッパでもアメリカの音楽=ジャズを聴き/プレイしまくっているが(彼の持ち物・アトリビュートはサクソフォーンだ)、あれってそれこそアメリカの傍若無人さを表しているんじゃないだろうか。とするとピーターはバロック音楽の指揮者で(『スターバト・マーテル/悲しみの聖母』が印象的だった)、つまりヨーロッパ側を代表しており、彼のことも愛ゆえに殺してしまうとなると、米欧の「恋人」を同時に殺してしまったリプリーの居場所がなくなってしまうのは当然だな、などと勘ぐってしまう。
そんなことを思いながら、今、観終わってみて、音楽がとても巧みに使用されていたな、と感心した。

Talented Mr Ripley

Talented Mr Ripley






[関連エントリー]

*1:『The Price of Salt』(Carol)は邦訳はまだだろうか。

The Price of Salt

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Highsmith: A Romance of the 1950's

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