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ブライアン・フリーマントル『消されかけた男』



「連中は別方向から攻撃していますよ」と、彼は追及をかわした。「なんだが軍隊用語みたいですがね」
「軍人にはスパイ組織の運営はできんよ」
チャーリーのさしだした糸口をたぐって、ベレンコフはきっぱりとそう言い切った。
「あなたは将軍じゃないですか」と、チャーリーはいった。「カレーニンだって、そうだ」
「じっさいは名誉称号さ」と、ベレンコフはあっさりいってのけた。元気がでてきたようすだった。「給与だとか特別手当だけの問題だ」
「資本主義とそっくりですね」と相手の態度がかわったのをみとめて、チャーリーは話の穂をついだ。「どんな仕事にも役得はつきものです」




ブライアン・フリーマントル『消されかけた男』(稲葉昭雄 訳、新潮文庫)p.110

英国秘密情報部員チャーリー・マフィン(Charlie Muffin)シリーズの第一作。原本の出版が1977年で、東西冷戦の最中のエスピオナージュなので、もはや「歴史小説」と呼んでもよいかもしれない……。
いや、そうとも言い切れない。たしかに「情報として」古びてしまったところはある。西側、東側という敵対関係も、歴史的なものである。しかし、そうでないものもいっぱいある。今回読み返してみて、ストーリーの巧みさ、結末の奇抜さには相変わらず胸のすく思いがしたが、それと同時に、やはり情報部という特別な組織、スパイという特別な人間の存在を、改めて再認させてくれた。
諜報組織は軍隊とは違う、ということである。
スパイには「仲間」はいない。軍隊のように「戦友」はいない。チームとして、コンビとして行動していても、メンバーはつねにすでに敵なのだ──だから「公式の敵」、つまり国家としての、イデオロギーとしての「敵」に、いつでも寝返ることができる。

たとえば、この本でチャーリーはモスクワ駐在のCIA要員ブレイリーと行動を共にすることになる。そのときチャーリーがまず準備をしたのは、CIAの「不当な介入」があった場合に備えて、ブレイリーを殺すための銃を用意することであった。もちろん、ブレイリーもプロであった。チャーリーが銃を用意していて、自分を撃つことを「可能性として」抱いていた。したがって、チャーリーとブレイリーという「プロのスパイ」は、この小説では「生き残る」ことができた。
スパイは自分以外の人間をすべて──ときには自分自身でさえも──欺かなければならない。その意志と覚悟が要求される。


死んだ人物──それは、チャーリーの身代わりになって、東ベルリンの防塞=壁で銃弾を受け蜂の巣になった東独の学生だ。チャーリーを慕う学生は、西側への脱出をめざして──西側に恋人がいる──偽造パスポートを手にチャーリーの乗るはずだったレンタカーに乗る。もちろん彼が命を落とした原因の一つは、西側の恋人へ電話をかけるという「素人特有の」失態を犯したからだ。しかしチャーリーは、その失態を知っても、その失態が何を意味するのかを知っても、計画をやめなかった。チャーリーが気にかけていたことは、偽造パスポートに要した費用が「経費として」全額下りないということだ。

チャーリーを「抹殺」しようとした二人の若きエリート情報部員は、一人は殺され、もう一人は東側に逮捕され、病院=セルブスキー研究所で「洗脳」を受け、発狂してしまった。
チャーリーの新任の上司で、彼を陥れようとした「軍人上がり」のカスバートスン卿は、屈辱的な罠に落ちる。
チャーリーは自分を陥れた人物、または組織を絶対に忘れない。許さない。

「なぜそんなふうに、見すぼらしい身なりをしなければならなかったの?」
「心理学さ」とチャーリーははぐらかした。「このせいで、みんなはわたしを軽蔑する。人間ってやつは、自分が軽蔑している相手を疑ったりしないものだ」




p.295

「しかし必要なときがきたら、身分でも拳銃でも、その他のどんな下劣な手段をつかっても、ぜったいにわたしの指令に従わせてみせる。アジアでの戦争はおわったんだぜ、班長さん。しかも、それをだいなしにしたのは、あんたがた特殊部隊(=米海兵隊)なんだ」




p.267


消されかけた男 (新潮文庫)

消されかけた男 (新潮文庫)