HODGE'S PARROT

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道を知っている者は迷う

僕はルパート・エヴェレット主演の『アナザー・カントリー』が──よく比較される『モーリス』よりも断然──好きなのだが、スラヴォイ・ジジェクがその魅力の一部を的確に「分析」している。

マレク・カニエフスカの映画『アナザー・カントリー』の最大の功績は、「それとは知らずに信じている」というこの不安的な状態を、まさに共産主義への改宗とからめて、繊細かつ美的に描いたことである。


スラヴォイ・ジジェクイデオロギーの崇高な対象』(鈴木晶訳、河出書房新社

ジジェクの著書はラカンヘーゲルマルクスあたりの理論がこれでもかと参照されるので、とっつき難いところがあるのだが(というより、そういった「理論」を補強するために「映画が参照される」のだが)、この『アナザー・カントリー』の分析は、なかなか興味深いものだ。「何が繊細」で「何が美的」なのかがよくわかる。

ジジェクはここで、ガイと「性関係がない」ジャドに転移関係見る。ジャドはストレートの男なので、ガイの魅力に無感覚ゆえに転移的同一化の焦点になる。

つまりこの映画で「繊細に、美的に描かれている」ものは、「公然と同性愛を標榜している」ガイ・ベネットと「公然と共産主義を標榜している」トミー・ジャドとの「性関係のない」、二人の<関係>である。

ジジェクはその転移的な関係のプロセスをまず二つの例で示す。
一つは、ガイのジャドへの非難。ジャドはいまだにブルジョワ的偏見から逃れられていない──平等だ友愛だと言いながら、しかし「その愛のかたち〔異性愛か同性愛か〕によって、ある人びとは他の人びとよりも優れている」と考えているじゃないか──と。そして、

第二に、ガイはナイーブなジャドに転移のメカニズムそのものを教える。ジャドは、自分が共産主義を正しいと信じるのは、歴史を勉強し、マルクスを読んだ結果だと考えている。それにたいしてガイはこう考える。「マルクスが理解できるから共産主義者だ、というのは間違いだ。共産主義者だからマルクスを理解できるんだ」。つまり、ジャドがマルクスを理解できるのは、マルクスは歴史の真理に到達できるような知識をもった人だということを、彼が最初から仮定しているからだ。ちょうど次のようなことと同じだ。すなわち、キリスト教徒は、神学の議論によって確信を得るからキリストを信じているのではなく、反対に、彼が神学の議論に影響されるのは、彼がすでに信仰の恩寵に浴しているからだ。

しかし、ガイのジャドに対するこのような非難と弱点の指摘は、すでに転移が発動しているからこそ「意味を持つ」とジジェクは見る。

すなわち、人間は真理それ自体によって「他者」を騙す。仮面の下にある真の顔を誰もが探している世界では、みんなを迷わせる最良の方法は真理それ自体の仮面をかぶることだ。

『アナザー・カントリー』に興味があるならば『イデオロギーの崇高な対象』のP.65からをちょっと目を通してみるといいんじゃないかと思う。Amazon の内容紹介にある「旧ソ連のスパイとして活動していた実在の人物ガイ・バージェスをモデルに、同性愛に対する苦悩を描いた悲劇のドラマ」とは違った「別の見方」としてこの映画を観る/視るために。

アナザー・カントリー [DVD]

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イデオロギーの崇高な対象

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