HODGE'S PARROT

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「フィギュア萌え族」と「やおい」

大谷昭宏氏の「フィギュア萌え族」という<言葉>に反感や憤慨を表明している人は多いようだが、そういった人たちは、「同性愛関係」が「やおい」と呼ばれることに対し、どう思っているのだろうか。

はてなダイアリーのキーワード「やおい」より
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%e4%a4%aa%a4%a4

「やまなし」「おちなし」「いみなし」の頭をとって言われる言葉(これは語源でしかなく、現在この意味で用いられる例はほとんど見られない)。


転じて、男性同士の同性愛的な性描写の意味で使われ、それを描くマンガ、小説、同人誌などのことを「やおい」と呼ぶ。

やおい」という<言葉>が持っている差別感・侮蔑感、その「負のコノテーション」になぜ「敏感」になれないのだろう。

虐待されている女性の心理についても同様のことがいえます。これはより広くみれば、フェミニティの次元でもあります。唯一の現実は虐待する者の権力です。頭を低くしていれば生き延びられます。支配的な基準におとなしく従い、底辺層としての恒常的無力状態を受け入れることでもあります。恥ずべき存在として扱われていると、あたかもそれが合法的かつ永久に従属的立場におかれることの正当な理由であるかのように感じられるようになり、女性なら身に覚えがあるように、あなたがそうなりきるまで虚偽の人生を送り、ついにそれが本物になってしまいます。これが加害者が規定する現実に対する被害者側の適応なのです。そのような現実が、不平等問題の最終的な解決策へと収斂していきます。すなわち絶滅です。


キャサリン・マッキノン『戦時の犯罪、平時の犯罪』(みすず書房『人権について』より、中島吉弘・松田まゆみ訳)