佐藤彰一『禁欲のヨーロッパ 修道院の起源』より。「禁欲」というキリスト教修道制に端を発する心性は、何よりもまず、ギリシア・ローマ的価値観に基ずく規範に対する抵抗であり、単に個人的な妄想の克服というよりも一種の文化闘争の色合いを帯びていた。禁欲の実践は、俗世という一つの社会構造から離脱して、もう一つの別の社会構造に身を移すことになる──しかし、そこにおいても新たな「克服すべき」肉体的欲望が焦点化されることになる。夢精と修道士同士の同性愛的な友愛である。
後者について、エジプトで大規模修道院を建設したパコミウス(Pachomius)*1が後世に多大な影響を与えたであろう戒律を事細かに記している。
修道士は仲間を誘うことがないように、集団で座るさいには膝を隠すことが義務づけられる(戒律二)。労働のさい(七)や、食事のおり(三〇)に他者を見つめてはならない。二人の修道士間で、直接の私的会話を交わしてはならず、それは週ごとに交替で努める当番修道士を介してなさねばならない。一切の物の貸し借りが禁じられ、同じく水浴のおりに体を流したり、油を塗ったり、果ては仲間の足に刺さった棘を抜いてやることも禁じられた。いかなる場所でも二人きりでいてはならず、手を取り合ってはならず、一頭の驢馬に二人で乗ってはならず、どこにあっても肘一本分の距離を保たなければならない。
年少の修道士は、遊び惚けたり、労働を軽視したり、また年嵩の修道士と笑いあったり、遊び相手にならないよう(一六六、一七二)、日常なすべきことが定められている。
これとほぼ同様の戒律が、ヨハンネス・カッシアヌスによって南ガリアにもたらされ、この地での修道制に採用されたが、この基本原理は修道士間の一切の肉体的接触の機会を奪うことにあった。
『禁欲のヨーロッパ 修道院の起源』p.96-97
多分、パコミウスが修道士たちを観察し、彼らの罪の告白を聴き、そういった経験的な知識を集大成したものなんだろうと思う──自身の/自分にとっても禁欲を妨げるであろう、それらのイメージを事細かに確認しながら。
[パコミウスの戒律の英訳]
- The Rule Of Pachomius, Part 1
- The Rule Of Pachomius, Part 2
- The Rule Of Pachomius, Part 3
- The Rule Of Pachomius, Part 4
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*1:Pachomius the Great, http://en.wikipedia.org/wiki/Pachomius_the_Great