アレクサンドル・スクリャービン(Alexander Scriabin、1872-1915)の音楽をいくつか連続して聴いていて──例えば《神聖な詩》や《法悦の詩》、《プロメテウス》などをまとめて聴いていて、そのため神秘体験を得た……わけではまったくなく、非常に明晰に書かれたテキストのことを思い出した。メモしておきたい。
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Scriabin;Sym.3/Le Poeme De L'e
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そのテキストは『レコード芸術』で連載している片山杜秀氏の「博覧響記」の第10回目。タイトルは「天使とヘリコプター」──数回に分けて書かれたカールハインツ・シュトックハウゼンの《ヘリコプター弦楽四重奏曲》論ともいうべきものだ。とりわけ興味を惹いたのは、シュトックハウゼンの音楽は──その音楽のヴィジョンは、ルドルフ・シュタイナーの思想(人智学、Anthroposophy)の「生き写し」ではないかと仮説を立てているところ。そのシュタイナーの思想自体の説明が(論じ方)が非常にわかりやすく、明晰で、そうだそうだよな、と膝を打った。
人智学なるものを説明するのに、まず片山氏は、ドイツの緑の党(Bündnis 90/Die Grünen)とシュタイナーの思想との影響関係からスタートさせている──緑の党はエコロジーと脱消費社会を唱えている、そしてシュタイナーも有機農法を推奨したのだ、と。
もちろん、人智学は一種のオカルトである。人間は、より高度な生命体に「進化」するために/させるために、五感を超えた感覚(超感覚)を備えなければならない。そのために有機農産物を食べ、自然の純粋なエネルギーを体内に取り込む必要があるのだ。シュタイナーはそのように説いていく。
この「超感覚」なるものが、非常に明晰に説明されている。ああ、なるほどな、と思った。例えば二酸化炭素排出による環境破壊問題について。二酸化炭素が撒き散らされると、温室効果を生む……そして環境破壊につながる。様々な問題が生じることを理解する。だからよくない、と。通常ならば、そのような知識から、そのような理路を取る。
ところが超感覚が開くと、環境破壊によって「地球が悲鳴をあげている」ということを本当に感じてしまう。「地球の叫び声」を本当に聴いてしまう。理屈(知識)ではなく、感覚で怖いのだ──怖くなるのだ。だから環境問題を根本的に解決するためには、人間が環境問題の恐ろしさを感覚的に感知すればいい。知識ではなく、感覚で。人が本当に恐怖を感じたならば/感じているならば、その恐ろしさを克服すべく、いやがおうでも、それに対して対処する。人は切実になる。切実に行動する。したがって、そのために、世界は「本当に」良くなる。だから知識ではなく、(超)感覚が重要なのだ──本当に世界が進化するために。「人は知識には緩慢でも、感覚には即座に反応するものだから
むろん、シュタイナーは、有機の食材を摂るだけで人間が超感覚を得られると論じたのではない。食の話はほんの一部だ。彼は人間の生活を文化と政治と経済の三領域で把握する。文化生活では自由が絶対だ。ヘンな音楽を聴いているからといって、誰に非難される筋合いもない。政治生活では平等が第一義だ。全員に参加する権利と義務がある。誰も勝手をしてはいけない。経済生活では友愛が根本だ。相互扶助だ。皆が助け合い、誰も物質的に困らないようにする。そんな生活を営みながら、食に気を配り、高度な存在たらんと望み、心を浄くしてゆけば、人間そのものが進化し、超感覚の世界が開け、この世は別物になる。シュタイナーの信念とはそういうものだろう。
ところでシュタイナーはもともと神智学(Theosophy)の徒だった──片山氏はそう論じる。神智学は、ヴラヴァツキー夫人がロシアではじめ、スクリャービンが大いに影響を受けた思想である。人間精神には神なる性質が宿されていて、それゆえに神の領域にまで進化できると説く。シュタイナーの人智学と似ているが、しかし進化の過程が異なる──それはスクリャービンの《法悦の詩》そのままなのだ。
秘儀に参入して陶酔し、幻視と幻想に身を委ね、エクスタシーに達して神人合一し、超感覚を得る。どうにも原始的だ。それから神智学が人間の内なる神性を重視するのはむろんだが、それだけではなく、キリスト教の神からあらゆる異教の神々までをシンクロさせたような、何とも得たいの知れぬ神様を大切にしている。神智学の神人合一とは、人間精神が神と人の区別のつきがたい高みに至るというよりも、人とそのとんでもない神様とが本当に合体してしまう状態こそを指していると言ってもよいだろう。
「天使とヘリコプター(下) p.69
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ゲーテ学者でもあったシュタイナーはそんな神智学から袂を分かつ。近代科学の進歩と経済発展に時代において、神智学のやり方はあまりに素朴すぎる、と。彼は人智学を打ち立てる。
人智学も神智学もともに怪しいオカルトである。しかしそうはいっても、両者の間には相容れない差異がある。それは人智学が「正気」を積み重ね、心を研ぎ澄まし、「覚醒」し、それによって超感覚を得ることにある。一方、神智学は、「酩酊」し、その酩酊状態の中で「外なる神」と人間の魂が合体する──神の大いなる懐へとジャンプする。
人智学は「外なる神」を重視しない。覚醒状態の中で「内なる神」を育んでいけばよい。超感覚を「開発」するのだ。そのためにこそ、有機農産物を摂る必要がある。そのためにこそ貧者を友愛の精神で救済する。そういったことに対して「覚醒」する必要があるのだ。それが超感覚に至るプロセスなのだ。片山氏はシュタイナーの思想を「世にも珍しい昼間のオカルト」だと指摘する*1。
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫)
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