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マイケル・ブラムライン『ラットの脳』



本業は外科医であるマイケル・ブラムライン/Michael Blumlein の『ラットの脳』(The Brains of Rats、1988)を読んだ。短編集『器官切除』(白水社)に収録されている。本の帯には「『SFマガジン』ベスト10 ランクイン!」とか「J.G.バラードに最も近いところにいる」なんていう紹介がされている。つまりSF小説サイエンス・フィクションSci-fi)、もしくはSFに「近い」といえるだろう。
[Michael Blumlein Official website]

内容は、ひとことで言えば、テクノロジーによる身体拡張──であろう。筆致は、即物的で医学的言語に満ちている。クールである。クールであるというのは、人間を妙な精神主義で見ている──認識しているのではなく、あくまでも物体・対象(オブジェクト)として捉えていることだ。

Brains of Rats人間の性分化は妊娠五週間目あたりで起きる。この時期以前の胎児は無性だ。もっと正確に言えば、どちらの性にでも(あるいは両方の性に)なれる。五週間あたりでたった一つ遺伝子が起動し、それが一連の出来事の皮切りとなって、最後には精巣か卵巣を作り上げる。雄の場合、この遺伝子はY染色体と関連している。雌の場合はXだ。XY対は通常雄を生み出す。XXは雌だ。

この二つの遺伝子は同定され、人工的に作り出されている。科学界一般の慎重論をよそに、われわれの研究所はこの研究をさらに推し進めた。最近われわれは、いずれかの遺伝子をどこにでもあるハナカゼウィルスに接合させることに成功した。ウィルスそのものは、どこにでもあるウィルスだ。人間の間では非常に伝染性が高い。主に液体成分(くしゃみ、せき等)を通じて広まるが、他の体液(汗、尿、睡眠、唾液、精液)でも伝わる。われわれはウィルスの毒性を弱め、哺乳類の肉体には無害にした。免疫反応も皆無か、あってもごくわずかで、細胞内に入り休眠状態となる。なんら機能的な障害は引き起こさない。


感染した雌が妊娠すると、ウィルスはすぐに胎盤を経由して、発育中の胎児の細胞を冒す。もしウィルスの持っているのがX遺伝子なら、胎児は雌になる。Y染色体を持っていれば、雄になる。ネズミやウサギでは、同腹の仔をすべて雄、あるいはすべて雌にするのに成功している。類猿人での実験も、同様に成功裡に終わっている。人間でも同じ結果を引き起こせると結論するには十分だ。
家族全員が男、あるいは女の家族を考えてみるがいい。あるいは男だけ、女だけの地区、町、国を。なんともシンプルではないか。まさにそうあるべく意図されていたかのように。




「ラットの脳」(『器官切除』所収、山形浩生 訳、白水社) p.12-13

語り手の研究者によれば、「性の間の争い、権力を求めての戦いは、思考と機能の間の分裂の反映であり、人間精神の力と、その人間の肉体設計に対する無力さの反映」で「性の平等という考え方は、何百年にもわたって存在してきたが、何百万年も存在してきた本能によってくつがえされてきた」、「精神の能力を決定する遺伝子は、急速に発達してきた。性を決定づける遺伝子は、過去永劫にわたってそのままだった」。だから人類は「この不均衡」の結果に苦しんでいるのだ、と。だから、この状況を変える。この状況に終止符を打つ。男だけの世界と女だけの世界を、創造することによって。

彼はジャンヌ・ダルクが男性であったという資料を報告する。エルキュリン・バルバン(エルキュリーヌ・バルバン、Herculine Barbin*1について報告する。ヴァレリーソラナスValerie Solanas の「SCUM 宣言」*2に言及する。そして『性発達の遺伝メカニズム』に収録されている論文を紹介する──9世紀のドイツに存在した「カトリン」という女性のエピソードを。カトリンは、ある男と出会い、恋に落ちた。男は学者で学問のためにアテネにでかける、カトリンもいっしょに暮らせるように男装して彼についていく。

アテネで男が死んだ。カトリンはそのまま残った。彼女は男からいろいろと学んでおり、自分でもかなりの学者になるに到った。さらに学問を続け、やがて名を為した。男装は続けていた。
しばらくして彼女はローマに呼ばれ、教皇レオ四世のもとで学び、教えることになった。世評は高まり、八五五年にレオが死ぬと、カトリンが教皇に選ばれた。


彼女の御世は二年半後、慌しく終わった。ローマの市内を行進中に、緩やかな法衣でからだの線を隠していたカトリンは、地面にうずくまり、何度か叫び声をあげて、赤ん坊を産み落とした。その直後、彼女は地下牢に放り込まれ、後に北の辺境の地に追放となった。それ以降、堅信の直前にすべての教皇は信頼できる聖職者二人の検査を受けなければならない。集った信徒たちの前で、二人は教皇のローブの下を探る。
「Testiculos habet (精巣あり)」と二人が宣言すると、信徒たちはホッとため息をもらす。
「Deo gratias (神よ、ありがとうございます)」と一同は唱えかえす。「Deo gratias」




「ラットの脳」 p.13-14

女だけ、あるいは、男だけの家族、地区、町、国を創造しなければならない──平和のために。ラットにできて人間にできないわけがない。

ある夜、妻がわたしに言った。「男と女って、全然別の生物種だと思うな」
夜遅くだった。わたしたちは寄りそってはいたけれど、触れ合ってはいなかった。わたしは言う。「いずれそうなるかもね。でもまだだ」
「そのほうがいいのかもね。そうすれば世の中もっと単純にはなるでしょう」彼女はあくびをした。
わたしは妻の手を取って握り締めた。「だからこそ、こうして一生懸命お互いに抱きしめ合うんだよ」
彼女はわたしに身を寄せた。「あたしたちはそれが好きだから」
わたしはため息をついた。「みんな知ってるからだよ、いつか抱き合いたいと思わない日がくるって」




「ラットの脳」 p.27-28

器官切除 (ライターズX)

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