「あの人(ノースモア卿)は、あなたをけっして認めてはいなかったけれど、あなたを手放そうともしなかった。あなたはあの人を立てづつけ、あの人はあなたを押えつづけた。最後の一滴までしぼりとるまであなたを利用しつづけたのよ。いいえ、最後の一滴は残してくれたから、信じられないような理想主義者で、救いがないほど慎み深いあなたも、あんな馬鹿な人間がどうして出世できたもんだろうと不思議がることができるわけね。あの人はあなたにかつがれて出世したのよ。ほかの人に訊いてごらんなさい──『いったいなにがあの人の才能だったんでしょう?』って。そうしたら、ほかの人たちはみんな馬鹿だから、口をあんぐり開けたきり、私にも分りませんと言うにきまっているわ。あなたがあの人の才能だったのよ!」
「そして私の場合は、君が私の才能だよ」
ヘンリー・ジェイムズ『ノースモア卿夫妻の転落』(大津栄一郎 訳、国書刊行会『友だちの友だち』所収) p.244-245
推理小説なら、この部分が殺人事件における犯人たちの動機の核心にあたるだろうし、そのために妻が夫に「何かしらの」決断を迫り、事を起こすよう焚きつけているような場面にも取れる──マクベス夫妻のように。しかし、このヘンリー・ジェイムズの短編小説では殺人は起こらない。代わりにもっと手の込んだ復讐劇が計画されている。虐げられた者たちによる「それ」に相応しい復讐の計画がなされていた、何年も前から……。
文壇の大物ジョン・ノースモア卿が死去する。ウォレン・ホープはノースモア卿の学友であり、ミセス・ホープはノースモア卿の最初の恋人だった。成功者であるノースモア卿に対し、その陰で、まさしく文人貴族の影のように不遇な地位に甘んじていたウォレン・ホープ。一方、ノースモア卿との結婚を望んでいた女性は、ノースモア卿にウォレン・ホープを紹介され「その策謀」によって、「ミセス・ノースモア」ではなくミセス・ホープになった。彼女はウォレン・ホープの将来を信じた。が、それは叶わなかった。それどころか、夫であるウォレンを「踏み台にして」ノースモア卿は「成功の範囲」を拡げていく──彼女は「そのように」確信している。「そのことを知っている」ノースモア卿は彼女が「どれくらい夫に裏切られた気持ちになっているか」を探る努力を繰り返した(と、彼女は思っていた。だからそれに反発するように、「そんな気持ち」を一度たりとも元彼に見せなかった。だから夫となった男を「意地でも」愛し、忠誠を示した──それが彼女の「情熱」だった。「その情熱」が彼女を取り巻く人間関係を「配置」し、それに基づく彼女の「独創的な」世界を構築する要因となった。)
ウォレン・ホープは体調を崩していたがノースモア卿の葬式に出席する。妻の不安通り、葬式から帰ってきたウォレンは病気を患い、衰弱し、ついに死亡する。ノースモア卿の荘厳な、まるで国葬のような葬儀に対し、わずかな知人と仕事仲間が義理で訪れたような侘しいウォレン・ホープの葬式。ミセス・ホープは惨めだった。二流の文士の妻でしかなかった。亡くなった夫の遺稿を出版社に届けても良い感触を得られなかった。それどころか彼女は夫の著作がどんなに売れていなかったことを改めて知らされ、うすうす「感じていた」ように、それを「認める」しかなかった──それを「本当に認める」ことによって、ウォレンは、彼女にとって、もう一度死んだのだった。
さらにそこに追い打ちをかける事態が──ウォレン・ホープの「二度目の死」のまさにその瞬間、ミセス・ホープにとって「悲痛な」報告が彼女を待ち受けていた。それはノースモア卿夫人が自分の夫の「記念塔」を建てるので協力して欲しいという依頼だった。ノースモア卿が友人たちに送った手紙を集め書簡集として出版するという計画が着々と進行していた。「特別な友人」であったウォレンの書斎にはノースモア卿の手紙が年代順に整理されすべて保管してあった──「この事態」を待っていたかのように。それだけではない。ミセス・ホープ自身も、かつて恋人だったときにノースモア卿から送られた手紙(ラヴレター)をすべて保存してあった。ノースモア卿との「交信記録」は完璧に残っていた。奇妙にも、ホープ夫妻はそれぞれ、ノースモア卿に捕らわれていたことが改めて認識される。
ミセス・ホープは何度も嘘をつこうと考えていた──ノースモア卿夫人に手紙は一通も発見できませんでしたと返事をする誘惑に駆られた(そのように書いている自分の姿を、そのシチュエーションを何度も想像した、その想像はあまりにもリアルだった)。しかし誘惑を振り切ってついに許諾の返事をノースモア卿夫人に送った。夫が友人との交信記録を「すべて残した」という意味と、そこに何かしらの「計画性」を直観したために。
ノースモア卿夫人に触発されたためか、ミセス・ホープも同様に夫の書簡集を(できれば)出版したいと思い、記憶していた「ノースモア卿夫人の文面そっくりに訴えた手紙」を友人知人に配布した。却ってきた回答は、ミセス・ホープがノースモア卿夫人に「嘘をつこうと」考えていた返事そのものだった──ウォレン・ホープ氏の手紙は一通も発見されませんでした、とノースモア卿夫人より返信があった。まるで鏡を見ているかのようだった──そこにはかつてノースモア卿夫人に自分がしようとしていたそのものの姿が映っていた。彼女は愕然とした。これが「リアルな」世界だった。打ちのめされた。惨めだった。受けた傷は「それだけ」残酷だった。夫と同様、彼女も「お終い」だった。
”これはある忍耐強い復讐の年代記で、その最終的な真実をわれわれが知らないだけにかえって残酷なものになっている。”──ホルヘ・ルイス・ボルヘス
『ノースモア卿公的私的往復書簡』は出版された。ミセス・ホープにもその豪華な二巻本が届いていた。恐る恐る手にし、ページをめくった。ウォレン・ホープの手紙は、ほとんど掲載されていた。読んでみた。?。彼女は思った。???。その手紙(文章)は「あんぐり口をあけた巨大な虚空」であった。噴飯ものだった。要するにあまりにもくだらない、とても文壇に君臨していた人物のものとも思えない稚拙なものだった。ミセス・ホープは女中に新聞をすべて持ってこさせた──落ち着いて、公平な審査にも目を通さなければならない。すべての書評に目を通した。文言は違えども、彼女の感想と同じ意見が記されていた──それは嫉妬心による錯覚ではなかったのだ。「いったいどうしてノースモア卿の家族はこんな書簡を公刊する値打ちがあると思ったのだ?」とすべての新聞は示唆していた。「馬鹿な遺族はどんな罠に嵌ったのだ?」「前もって何人か少数の連中が共謀したため、みんなのせられてしまったのか?」「どうしてこんな故人の鈍さと愚かさの証拠となる文章を外に出すのだ?」「どうして?」……。
『ノースモア卿公的私的往復書簡』はロンドンじゅうの嘲笑の的になる。冗談好きな者たちの格好の冗談の種になる。峻厳な正義の女神がノースモア卿の失墜を宣言した。ノースモア卿のかつての名声、その威信は、殺されたのだ。ミセス・ホープは夫を見直した。夫はずっと「この計画」を立てていたのだった──だからノースモア卿の手紙をすべて保管しておいたのだ、と認識した。
彼女は陽光にむかって目を開き、陽光も真っ直ぐ彼女の目にさしこみ、そして彼女は歓迎するように長い間忘れていた笑い声をあげた。どうして私は馬鹿みたいに推測がつかなかったのかしら? ウォレンは陰険に手紙を保管しておくことで、狙っていたことをやりとげたのだわ。ウォレンはずっと前からひとつの目的にしたがって行動してきて、ようやくいま目的を──宿願を──達したのね。
p.273
ミセス・ホープは社交界に復帰した。そして「共犯者たち」──亡き夫と同じようにノースモア卿の手紙をノースモア卿夫人に「善意で」提供した人たち──を、まるで慰問をするかのように、まるで労うかのように訪ね歩いた。彼女は思い余って彼らに馴れ馴れしい口を利いた。彼女は復讐の甘美さに酔っていた。彼女を拒否し、彼女が拒否した男の醜聞を曝け出すことを想像する行為は、自分が実際に結婚をした男に対して配慮することよりもはるかに重要だった。だから……準備に準備を重ねて、外堀を埋め、「ターゲット」に近づくための慎重な地ならしを行い、最後の最高の楽しみの番を待った──「鏡に映る他人」のようなノースモア卿夫人を訪問し、彼女にジョン・ノースモアが結婚前にミセス・ホープに送った「手紙=ラヴレター」を、「見事に成功に浴した先行作に刺激を受け、それに敬意を表して」(と皮肉を加えて)『ノースモア卿公的私的往復書簡』の続編として公刊してよいかどうかを訊くために。何よりも「そんなもの」が存在していたことそれ自体を知らしめるために。
同時に、ミセス・ホープはもう一つ「計画」を立てていた。それはボルヘスがこのジェイムズの作品を評したように、”その最終的な真実をわれわれが知らないだけにかえって残酷なものになっている”。
- 作者: ヘンリー・ジェイムズ,大津栄一郎
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 1989/06/01
- メディア: 単行本
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