解剖学関連の本って何か持っていたかなと書棚を覗いたら、レンブラントの《ニコラース・テュルプ博士の解剖学講義》(The Anatomy Lesson of Dr.Nicolaes Tulp、マウリッツハイス美術館)を詳説しているオランダの画家を特集した画集と、フランク・ゴンザレス・クルッシ 著『解剖学者のノート』(NOTE OF AN ANATOMIST by Frank Gonzalez-Crussi)が見つかった。
で、クルッシの『解剖学者のノート』のほうパラパラとページをめくった──どうしてこんな本買ったのだろうと思いながら。この邦訳本は現在品切れのようなので、いちおう書影を写しておこう。
フランク・ゴンザレス・クルッシ(b.1936)は、メキシコ生まれの病理解剖学者。高校時代にフランス文学に熱中し、パリ留学経験もある。進路決定の際には文学か医学かと迷ったそうだが、メシキコシティの医科大学で学び医師となった。国籍はカナダ。『解剖学者のノート』は、そんな経歴を持つ解剖学者による一般書で、文学や哲学に言及し、解剖学の知見をところどころに散りばめながら、人体に対する好奇心を綴ったものだ。
そう、「好奇心」。なんといってもだ、第10章は「男性性器の解剖学」について、なのだから。
だた、この本には図版はいっさいない。その代わりに、〈ペニス〉を指す言葉が100以上載っている──〈ペニス〉という直接的な言葉を口にすることができなかったので、その代わりに間接的な言及、婉曲話法が用いられ、膨大な用語の遺産=リストが残されたのだという。
例えば、cock、drumstick、fiddle-bow、flap-dooble、gaying-instrument、holy iron、horn、Jack-in-the-box、joystick、lobster、middle、phallus、pistol、poker、priap、rammer、rod、sweet-meat、tail……ふむふむ、”それ”(it)は、ゲイ・ポルノの独断場じゃなかったのか。人々の”もの”(thing)に対する飽くなき好奇心。頻出と偏在性。そしてその象徴性──と、クルッシは続ける。
旧約聖書に出てくるノアの曾孫の「ニムロデ」(Nimrod)は「棒」(rod)の単なる語呂あわせではなく、創世記第10章9節に「彼は主の前に力ある狩猟者(hunter=男根の隠語)であった」とあるように、完全な聖書の含意なのである。…(中略)…。「聖ペテロ」は、フライヤーに言わせれば、「天国の扉を開く鍵を持っている」器官ということで与えられた称号である。さらに、エリック・バートリッジの『俗語辞典』を見ると、およそ1790年代から1880年まで英国では男性生殖器は「ジョンソン博士」と呼ばれていたことがわかる。それは、「ジョンソン博士が敢然と立ち向かわなかった相手は一人もいなかったことからきたらしい」というのである。
この大部な辞典について少なくとも言えることは、パートリッジが「創造的行為」と呼んだ事柄に関連したあらゆるものに対する英語圏の人びとの飽くなき関心を反映しているということである。しかもそのことは、比較的最近に使われている語彙に関しても言える。もし我われが、世界史上における生殖器官の社会的な認知の記録の編纂に着手していたとしたら、国会図書館はその作品を収めきれないだろう。
What Should We Do with Our Penis?
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