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『陰謀の世界史』を読んで



先日、書店でジョン・コールマン/John Coleman の『新版 300人委員会』が平済みされているのを見て、「陰謀史観」(Conspiracy theory、コンスピラシー・セオリー)が流行っているのか──また流行りだしたのか……と思い、海野弘の『陰謀の世界史』を読んで整理しておこうと思った。なにしろ文庫本一冊なので、こちらのほうがコールマンの本よりもコスト的にグットだから、だ。

陰謀の世界史 (文春文庫)

陰謀の世界史 (文春文庫)


フリーメーソン」「ユダヤ」「イリュミナティ」「ロスチャイルド」「ロックフェラー」「ルーズヴェルト」「英国王室」「フェビアン協会」「三百人委員会」「外交問題評議会(CFR)」「財団」「銀行」「アレン・ダレス」「CIA」「ケネディ」「ニクソン」「キッシンジャー」「レーガン」「ブッシュ」「クリントン」「KGBソ連情報部)」「MI5とMI6(英国情報部)」「モサドイスラエル情報部)」「ヴァチカン」「マフィア」「ハワード・ヒューズ」「マーチン・ルーサー・キング」「超古代史」「エイリアン・UFO」「ナチ・第四帝国」
についてまとめてある。そして、もともとのコンスピラシーの意味については、次のような説明がなされている。確認しておきたい。

コンは共に、一緒に、という意味で、スピラシー(動詞はスパイア)は息をすることで、一緒に呼吸する、というのが元の意味だといわれる。なぜ一緒に呼吸することが、陰謀、つまり秘密で、悪いことを企てることになるのか。スピラシーは、スピリット(息、精神)からきている。スピリットには酒という意味もあり、中世の錬金術では魔法の液体のことであった。見えない精神、魔法の液体といった秘密めいた空気がそこに漂っているのかもしれない。コンスピラシーが悪い企みとなるのは、コンという接頭辞によるのだろう。コンは、共に、でもあるが、コントラ、つまり反対する、の略でもある。また、コン・マンというと詐欺師のことだ。これはコンフィデンス・マンの略で、コンフィデンス(信頼)につけこんでだます人を意味する。
以上のようなプロセスで、コンスピラシーは一緒に息をする、心を合わせるという意味から、共謀することになり、コン(反対する、詐欺の)という意味が重ねられ、悪いこと、秘密のことを企み、の意味になっていったのではないだろうか。




海野弘『陰謀の世界史』(文春文庫) p.23


とりあえず「超古代史」と「エイリアン・UFO」以外は眼を通した。様々な事件が眼に見えない糸──あるいは意図で繋がっており、敵と味方が入り乱れ(本当は共謀しあっており)、「実は」この世界は、何か得体の知れないものによって構築されおり、我々はそれに操られている……「あらゆるものがつながって、くもの巣(ウェブ)、網(ネット)をなしている」。
陰謀論者の描くセオリーは、それなりに説得力がある。なるほど、と思わせるところがある。

……コンスピラシーにおいて、コンスピレーター(陰謀者)とセオリスト(陰謀解読者)が対立している。セオリストは陰謀を企む<彼ら>をあばく。セオリストの<彼ら>への態度により、セオリーも変わってくる。<彼ら>の存在を本気で信じ、激しい敵意を燃やすものから、そうだったら面白い、という想像を楽しむものまである。読者の方も、信じる人から、半信半疑で、面白がるマニア、そして、そのセオリーに断固反対するまで人いる。コンスピラシー・セオリーを政治や思想として受け取って賛成か反対かを表明するか、文化として、たとえばSFでも読むように楽しむか、という両極がある。
セオリストがなんのためにその説を立てているかにも注意しなければならない。なぜユダヤ人やフリーメーソンを攻撃するのだろうか。<彼ら>に反対する勢力に頼まれているのだろうか。その時は、セオリーは、陰謀をあばくだけではなく、自ら陰謀になっていることになる。私たちはセオリーのさらに裏を読まなければならないことになる。




『陰謀の世界史』 p.34-35


そして思った。ミシェル・フーコーもこれら陰謀論者に加えてもいいんじゃないか、と。フーコーの描く「歴史」こそ非常に洗練された「コンスピラシー・セオリー」なのではないか、と。例えば陰謀論者による「フェビアン協会」に対する攻撃。

陰謀のセオリーでは、いかにもあやしいといった秘密結社だけではなく、まさかと思われるものが標的になる。たとえば、<知識>、<啓蒙>、<進歩>、<科学>といった、近代の輝ける成果として語られるものが<陰謀>として解読されるのである。<近代>そのものも、あやしいと見られるのだ。私たちが当然であるとし、なにも疑っていなかったものに、陰謀の匂いを嗅ぎ出す。
たとえば、<新世界秩序>は、冷戦後の陰謀史観の中心的構図ともいえるが、そのはじまりがフェビアン協会であるといわれると、おどろいてしまう。戦闘的で過激なマルクス主義に対して、フェビアン社会主義は、「温和な社会主義」とされてきた。ところがジョン・コールマンの『ワンワールド──人類家畜化計画』(大田龍監訳、雷韻出版、2000)によると、ボルシェヴィキ暴力革命より狡猾なのだそうだ。





『陰謀の世界史』 p.212


「人類家畜化計画」か……これって「生権力」?





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