HODGE'S PARROT

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婚礼のアンセム〜われ愛す、故にわれあり



ベンジャミン・ブリテンBenjamin Britten、1913 - 1976)の宗教的題材による声楽曲を集めたアルバムを聴いた。マイケル・チャンス(カウンター・テナー)、イアン・ボストリッジテノール)、サイモン・バーチャル(バス)、ティモシー・ティキンソン(トレブル)、リチャード・ファーンズワース(トレブル)、マーティン・ニアリー指揮、ウェストミンスター寺院聖歌隊他の演奏。

Ceremony of Carols

Ceremony of Carols



  • 祝祭カンタータ《キリストによりて喜べ》 Rejoice in the Lamb: Festival Cantata, Op. 30
  • 《カンティクル第2番:アブラハムとイサク》 Canticle II: Abraham and Isaac, Op. 51
  • 《キャロルの祭典》 Ceremony of Carols, Op. 28
  • 《聖母賛歌》 Hymn to the Virgin
  • 《婚礼のアンセム》(「われ愛す、故にわれあり」) Wedding Anthem (Amo Ergo Sum), Op. 46
  • 《アンティフォン》 Antiphon, Op. 56b


このアルバムにおけるブリテンの音楽はとても心地よい。例えば、最初の《キリストによりて喜べ》を聴いただけで、トレブル(ボーイソプラノ)の声を中心に、アルト(カウンターテナー)、テノール、バス、それにオルガンだけを伴奏にした音楽の持つ優しい響きに夢心地な気分になる。まさに《キャロルの祭典》の中の一曲、《かくも麗しいバラはない》(There is no rose of such vertu)というタイトルがすべてを物語っているだろう。端的に、美しい。
20世紀の音楽にあって、鋭い不協和音を「分析的に」聴取しなくて済む、という気楽さも手伝って、それをアリバイに、「憩い」をそこに求める──そういった音楽の聴き方もアリ、だろう。たとえピエール・ブーレーズルイジ・ノーノの音楽を知っているからといっても、いや、知っているからこそゆえに。
許しがたき保守反動。アドルノならば「まやかしの満足に安住している」とでも言うだろう──もっともアドルノが舌鋒鋭く批判したのは、ラディカルを標榜する「新音楽」における「老化」の徴候なのであったが。

ところで、徹底性において出来ることならシェーンベルクを凌ごうという非妥協的な作曲家が、意外にも、セクト性とアカデミズムのきわめて奇妙な結合を示している。




テオドール・アドルノ「新音楽の老化」(三光長治、高辻知義 訳、平凡社ライブラリー『不協和音』より) p.267

不協和音―管理社会における音楽 (平凡社ライブラリー)

不協和音―管理社会における音楽 (平凡社ライブラリー)



……と、「保守反動」を自認していることを自嘲的に見せるポーズと、フランクフルト学派の哲学者の名前を出しておけば、それが何かしらのアリバイになり、後は何を書いてもOKだろう。
書きたいのは──というより引用したいのは、ロナルド・ダンカン(Ronald Duncan、1914-1982)作による《婚礼のアンセム》の歌詞だ。端的に、気に入った。

There two are not two
Love has made them one
Amo ergo sum! [I love therefore I am!]
And by its mystery
Each is no less but more
Amo ergo sum!
For to love is to be
And in loving Him, I love Thee
Amo ergo sum!




ここにいますふたりはふたりではない
愛がふたりをひとつにした
「われ愛す、故にわれあり!」
その神秘にて
お互いはより高められる
「われ愛す、故にわれあり!」
なぜなら、愛することは「ある」ということ
キリストを愛することで、わたしはあなたを愛する
「われ愛す、故にわれあり!」




ロナルド・ダンカン《婚礼のアンセム》より


ウェストミンスター寺院Westminster Abbey。指揮のマーティン・ニアリー/Martin Neary は、1988年から1999年までウェストミンスター寺院オルガニスト聖歌隊長であった。ダイアナ妃の葬儀における音楽監督を務めたのも彼である。このベンジャミン・ブリテンのCDは、Sony Classical による「Arc of Light」シリーズの一枚であった*1。「アーク・オヴ・ライト」シリーズには、ジョン・タヴナーJohn Tavener、b.1944)の《イノセンス》やグレゴリオ・アレグリ(Gregorio Allegri、1582 - 1652)の作品をメインにした《ミゼレーレ》などがある。

Innocence

Innocence

Miserere

Miserere


Miserere Mei Deus - Kings College Chapel Choir

アレグリ作品で群を抜いて有名なのが《ミゼレーレ》である。合唱の一方は4声、もう一方は5声からなる二重合唱のために作曲されており、かなりの名声を博してきた。合唱団の片方が聖歌〈ミゼレーレ〉の原曲を歌うと、空間的に離れたもう一方が、それに合わせて装飾音型で聖句の「解釈」を歌う。《ミゼレーレ》は今でもシスティーナ礼拝堂の聖務週間で定期的に歌われている。17世紀に「古様式 stile antico 」もしくは「第1作法 prima prattica 」として知られたような、ルネサンス音楽ポリフォニー様式の典型的な作品だが、ローマ楽派とヴェネツィア楽派の両方からの影響を示している。ポリフォニー様式ではあるが、全声部が模倣を行う通模倣様式ではなく、和声的様式(ファミリアーレ様式)による。これは歌詞を強調するために採用されたと考えられる。


この《ミゼレーレ》は1981年に映画「炎のランナー」のサウンドトラックに利用されたことで、国際的な知名度を獲得するに至った。





グレゴリオ・アレグリ [ウィキペディア] より



ピーター・ピアーズ(Peter Pears、1910 - 1986)とブリテン(ピアノ)のデュオによるシューベルトの『美しき水車小屋の娘』より。
Pears & Britten - Die Schone Mullerin - n.6 Der Neugierige


あたかも山間のせせらぎがお互いを見出し、
ともに溶け合って
広漠にして悠々たる大河となるように、
そして海原に流れ込んで
永久に姿を消すように、
愛するものたちもお互いを求めよ、
そしてひとつになって
キリストの愛のもとに結び合ったならば、睦まじく、
たとえこの世の命は短かろうとも、
キリストによってふたりは永久に愛し合う。




《婚礼のアンセム》より



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