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アラン・チューリングのイミテーションゲーム




YouTubeEquality Forum が作成したアラン・チューリングAlan Turing、1912 - 1954)のビデオがあった。Equality Forum は、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの権利擁護に取り組んでいる団体で、LGBTの人々に関するドキュメンタリーを数多く作成している。

glbtHistoryMonth.com - Alan Turing

彼(=アラン・チューリング)は1926年、港町サザンプトンの西にあるシャーボーンというパブリックスクールへ入れられた。パブリックスクールの教育の目的は、生徒を鋳型にはめ込んでイギリス紳士を製造することで、彼には自由のない生活が待っていた。
チューリングはここで最低の評価を受ける。「彼は初歩的な訓練をないがしろにして数学に時間を費やしている」「彼は汚い、肌が脂ぎっている、カラーがインクで汚れているし、服装もだらしない」「もしパブリックスクールに留まるのなら、もっとよく教育を受けるべきだ。もし科学の専門家になるつもりなら、彼はここで時間を無駄にしている」「どの学校でも社会でも問題児とみなされる類の生徒だ」、と。


アラン・チューリングは何にでも自分流で通す主義だった。また彼は自分がホモセクシュアルであるという宿命をこの時期に深く自覚している。



(中略)



何とか卒業にこぎつけた頃、一歳年上の親友ができた。彼の名前はクリストファー・モルコムといった。モルコムとチューリングは宇宙について語り合う。モルコムはチューリングにとって最初の同性への恋の対象であったが、それは受け入れられない恋であった。
彼らは共に、科学ではドイツのゲッチンゲン大学に次ぐ高水準とみなされていたケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを目指す。モルコムは合格したが、チューリングは失敗した。しかし、入学を待たずにモルコムは急死し、チューリングは大きな衝撃を受けた。




星野力『甦るチューリング』(NTT出版) p.5-6

甦るチューリング―コンピュータ科学に残された夢

甦るチューリング―コンピュータ科学に残された夢



↓の映像は、Equality Forum とは無関係だが、やはりアラン・チューリングの同性愛と彼の死を追った貴重なドキュメンタリーだ。
The Death of Alan Turing




[Equality Forum]

Equality Forum advances national and international gay, lesbian, bisexual and transgender (GLBT) civil rights by educating the GLBT community and society at large about GLBT issues. Equality Forum is a non-profit, 501(c)(3) organization.


Equality Forum develops innovative, high-impact educational programming and content in the form of documentary films, history projects and educational forums to enhance understanding of GLBT issues.



[アラン・チューリング関連]

The Turing Test is simple in design, but side-steps a number of problems with traditional reasoning about intelligence. Turing imagined that in order to say that a computer is "intelligent" or that it thinks, one would need to give it a task to do on which its performance would be indistinguishable from that of a human. Turing called his test an "imitation game": "It is played with three people, a man (A), a woman (B), and an interrogator (C) who may be of either sex. The object of the game for the interrogator is to determine which of the other two is the man and which is the woman."


In Turing's test, the woman is then replaced by a computer. If the computer can convince the interrogator that it is a woman at the same rate as the real woman did, then the computer can be said to think.
Researchers have argued about the importance of gender to Turing's thought experiment, and the relationship of his homosexuality to how he framed the question. What is striking, though, is that Turing replaced the metaphysical question of "Can machines think?" with a practical problem of whether or not a human might distinguish a computer from another human in a conversation.

アラン・チューリング関連本として、上記のチューリング・サイトの管理者でもあるアンドリュー・ホッジスの伝記『Alan Turing: The Enigma』と、『ファミリー・ダンシング』『失われしクレーンの言葉』などの小説で有名なデイヴィッド・レーヴィット/David Leavitt のノンフィクション『Man Who Knew Too Much: Alan Turing And the Invention of the Computer』を読みたいんだけど、翻訳は出ないのかな……いや、両方ともペーパーバックで持ってるけど、なかなか読めない(笑)。二人ともゲイであることをオープンにしているので「その」内容もかなり期待できるのだが。

Alan Turing: The Enigma

Alan Turing: The Enigma

Man Who Knew Too Much: Alan Turing And the Invention of the Computer (Great Discoveries)

Man Who Knew Too Much: Alan Turing And the Invention of the Computer (Great Discoveries)




ところで、『甦るチューリング』を読み返していたところ、ちょっと興味を惹いた記述があった。「チューリングテスト」と、それに異議を唱えた哲学者ジョン・サールの「中国語の部屋」に関する部分だ。
→ チューリング・テスト [ウィキペディア]

→ 中国語の部屋 [ウィキペディア]


ウィキペディアの方にもサールに対する反論が記されているが、星野氏の「質問」も強烈だな、と思える。

サールにぜひ質問すると面白いことがある。サールは英語を話す国民なので、英語は「理解」しているはずだ。サールの脳からニューロンを一個取り出したとき、それは英語を「理解」しないだろう。では、脳一個からニューロン一個のあいだのどのレベルで、サールの脳は英語を理解しなくなるのだろう? 脳の半分か? 四分の一か? 一〇〇分の一か? かろうじて英語を理解する「限界脳」の表面で、サールはきっとある種のイミテーションゲーム(チューリングテスト)をやってるはずだ。


知能も心もそれが実現しているかどうかを客観的に論じるには、それらを客観的に判定する基準をまず定義しなければならない。しかし、それは言葉の迷路に迷い込んでしまい、そこから脱出するには何かの操作主義的な規準(一種のチューリングテスト)に救いを求めざるをえないだろう。しかし、そのテストは不満足で、説得力に欠けるものである。




星野力『甦るチューリング』 p.141


チューリングは「コンピュータを人間と同じ規準で扱おうじゃないか」と主張した……これがチューリングテストイミテーション・ゲーム)のテーマなのだが、どうして、今、「この」イミテーション──機械も人間らしく思わせるためにいろいろな人間の模倣を行う──に「興味を惹いた」のかというと、グレン・グールド演奏によるバッハの『ゴールドベルク変奏曲』(1955年録音)と「別なピアニスト」による同曲の「最新録音」を聴き比べていて、思うところがあったからだ。

チューリングはどのようにして学習が可能になるのかをこう説明している。人間は機械にある観念を「注入する」ことができる。未熟な機械なら、注入された観念は増殖しない。たとえば、ピアノの弦をハンマーで打ったときのように、弦はある強さで振動した後、静かに減衰する。知能が低い動物の心はこのピアノのように「臨界未満」だ。




星野力『甦るチューリング』 p.143


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