HODGE'S PARROT

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カミール・パーリアのペルソナ

カミール・パーリアの「ジャンクボンドとコーポレート・レイダー」(『セックス、アート、アメリカンカルチャー』)を読み返したのだが、フーコーラカンデリダというフランス思想家三銃士へのあまりにも「生き生きとした」罵倒の真っ只中に、極めて「真面目な」振る舞いがあるのに、ちょっと驚いた。
例えば、大学改革について。

わたしの提唱する大学改革案は、大学教育の中心に学習をとりもどそうというものだ。過去の史実と年代に精通すること、解説は必要だが二次的なものにとどめること。それが教授にも学生にも求められる。
現在のきわめて主観的な論文主体の人文学カリキュラムは、中流プロテスタントに有利な言説中心のスタイルを踏襲していて、ほかの文化的な環境ないし気質の中で育った者を冷遇するものである。しかも、学生のあいだに、出世第一主義の計算高い反応を起こさせる。文学部で論文を書かせるという流行はプレップ・スクールで頂点に達したが、もはや一種の詐欺のようなものになっている。


都会のマイノリティや南部の田舎町出身の新入生を教えたわたしの経験からすれば、公正な教育とはこのような授業を減らして、むしろ系統だった教科書などの素材をもとに教えるべきである。そのような素材は誰でも分けへだてなく接することができ、十分に活用できなければいけない。これこそ、ほんとうの機会均等だ。人文学の分野での成功は、医学や法学と同じく、その現場での努力を尊重すべきだ。どこかほかで身につけた口先だけのなめらかな弁舌で判断されてはたまらない。




p.320

パーリアは、アメリカの大学におけるフランス思想の「侵略」を、ジャンクボンド(信用格付けが低いかわりにハイリターンな債権)とコーポレート・レイダー(企業乗っ取り)に例え、激しく拒絶している。アメリカの「公正」は、フランスの「エリート主義」に打ち勝つべきだとでも言うように。そして「フランスかぶれ」の学者は「ヤッピー」であり、堕落していると何度もナイーブなまでに繰り返す。
さらに学会も槍玉に挙げる。パーリアに言わせれば、学会とは、出世欲がうずまき、ぶらぶらと暇をもてあました職あさりの大名旅行で、同性愛者のハントの場であり、気晴らしの休暇なのである。学会の常連者は、「ジャスト・ア・ジゴロ」(ヒモ)とさえ言い切る。

流れ作業ですいすいと世に送りだされるハイテク評論は、まるでデトロイト自動車産業のような勢いで、アメリカ中に広まりつつある。新製品! 改良品! 来年の新モデル、本日発表!
偽りの進歩主義にかりたてられた大学教授は、熱に浮かされたようにダンスのステップを踏む。急げ、しっかりやれ、遅れをとるな、最先端から脱落するな。だが、人文学は医学や海洋生物学や宇宙物理学とちがって、人間の永遠の真理について研究するものだ。実際のところ、その真理はけっして変わることなく、だが何度もくりかえし発見されるものなのだ。
人文学とは人間の洞察力、閃き、叡智についての学問である。空虚な言葉遊びにふけるフランス人の理論から生まれるのはへりくつ屋、立身出生に汲々として現世での報いを追い求める学者バカだ。そこで幅をきかすのは60年代の左翼主義の延長ではなく、50年代のプレップスクール気質、いやみでこすっからいスタイル、冷たく、いやらしいほどにきどった鼻声、アイビーリーグの俗物性だ。


フランス人の思想家はブランドネームをひけらかす。ラカンデリダフーコーは学問の世界のBMW、ロレックス、クイジナート、ヤッピーたちが自慢げに見せびらかす戦利品だ。フランス人の学説はコンピュータに組みこまれた思想、スーパークリーンで、いかなるリスクをも排除する。アイコンをゴミ箱に放りこむマッキントッシュ、せかせかと腹につめこむファーストフードのビッグ・マック。大学のマクドナルド化である。金太郎飴のような画一化、いくらでも替えのきく製品、同じように考え、同じようなことしかいわず、能率第一主義で、威勢だけはいい大学人。学者は融通のきかないコンピュータ技師になりさがり、最先端から脱落するまいと必死になり、最新の機械やほんとちょっとした目新しいだけの新製品を嬉々として吹聴する。フランス人の学説は、誰でも一夜のうちに不動産で巨万の富を手にできるというハウツーもののテープのようだ。




p.301-302

これは、アメリカンドリーム(もしくはアメリカニズム)というものはフランスの代補なしではありえない、というパーリア一流の脱構築だろうか。
ロジャー・キンボールの『終身在職権をもったラディカルたち』よろしく、パーリアは、システムに順応しシステムに守られた大学に巣食う左翼たちを「社畜」と同じだと看破する。パーリアは、「アンチ・フェミニストフェミニスト」という「自他公認の立ち位置」だけではなく、「アンチ左翼・左翼」という「立ち位置」にも魅力を感じているのかもしれない。

インドの美術や古代地形学にくらべたら、ラカンデリダフーコーは白蟻でしかない。




p.293

フランス現代思想に熱をあげているアメリカの学者たちは、まがいもののウィスキーでせいぜい空元気を出そうとする体重45キロのへなちょこの青二才である。政治や文化にたいする彼らの無知さかげんにはびっくりしてしまう。




p.293

学会という檻に入った理論家たちは、ハツカネズミのように運動用の輪っかをカタカタとまわし、パリのばかげた縄張り争いをそのまま踏襲しようとする。パリの知識人の書く文章は一行一行が計算しつくされ、ほかの知識人との力関係をはかって自分の位置を決定しようとするものである。




p.304

パーリアは、「外国のファシズム」からアメリカを守る「聖母」(マドンナ)であることを本気で真面目に夢見ているようだ。アンチフェミニストフェミニストという「立ち位置」は伊達や酔狂では決してない。

わたしには夢がある。映画『ブルース・ブラザーズ』に出てくるディナーのエピソードから連想したものだ。その夢の中では、アレサ・フランクリンが例のかっこいい黒い口紅に「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の衣装をつけて、マキシムの席からぴょんと跳びだす。そして、「シンク!(考えよ)」と叫んで、ラカンデリダフーコーをいっぺんにふっとばす。連中はまるで壁に叩きつけられた雑巾のようにぺちゃんこになる。やがて、アレサは解放された白人奴隷──学者たち──の先頭に立ち、勝利のパレードがシャンゼリゼ大通りを練り歩く。




p.300

[関連エントリー]

[Camille Paglia]


セックス、アート、アメリカンカルチャー

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ところで、最近、カミール・パーリアの名前を意外な場面で目にした。「悪名高い」ジャーナリスト、マット・ドラッジ(Matt Drudge)関連の話題においてだ。マット・ドラッジは、クリントン大統領とモニカ・ルインスキーのスキャンダルをいち早く世に知らしめたことで有名な「ドラッジ・レポート」(DRUDGE REPORT)というニュースサイトを運営している人物なのだが、パーリアはそのマット・ドラッジにインタビューし、彼を褒め称えたそうだ。

「きっこの日記」は日本版「ドラッジ・レポート」なのか? [絵文禄ことのは]

ドラッジは、キース・オルバーマンには「モデムを持った大バカ者」と呼ばれ、ニューヨークタイムスには「人の仲を裂いてこの国に君臨している者」と呼ばれ、カミール・パーリアには「大胆な、企業家的な、自由奔放な、情報指向のアウトサイダーで、この国にはこういう人がもっと必要だ」と言われている。ドラッジは、カミール・パーリアによって称揚されたが、実際にはパーリアはドラッジよりもはるかに左に位置する。

[DRUDGE REPORT]

Drudge Manifesto

Drudge Manifesto


保守派エスタブリッシュメントの「代弁者」と看做されているマット・ドラッジは、確かに「生き生きと」個人攻撃に精を出している──その矛先は、ほとんどがリベラル左派に向けてだ。もちろんドラッジ本人は自分を「そのような」政治信条の持ち主として、主体つけては、いない。自分はリバタリアンだと慎ましく主張するぐらいだ。

また一方、上記の記事でも触れているが、ドラッジの「ゲイ疑惑」は、事あるごとに話題になる。マット・ドラッジの「仮面」(ペルソナ)には、まったくもって興味深い。

Another topic of interest has been Drudge's repeated publishing of personal attacks, suggestions, and private information, such as the Monica Lewinsky and Sidney Blumenthal reports. In contrast to this, there have been repeated media reports that Matt Drudge is gay, beginning with an article published in the online magazine Salon.com. Subsequent articles were reported by the New Times newsweekly chain, the Boston Phoenix and others. Former conservative reporter David Brock has discussed his personal connections with Matt Drudge's gay life in his book Blinded by the Right. Drudge has denied that he is gay.


『Blinded by the Right The Conscience of an Ex-Conservative』は、保守派のジャーナリスト、デヴィッド・ブロック(David Brock)が自分がゲイであることをカミングアウトし、他の保守派のゲイの記者たちとの「関係」──マット・ドラッジを含む──について赤裸々に「生き生きと」語った本だ。デヴィッド・ブロックは自分の「立ち位置」を”the only openly gay conservative in the country”だと規定してたが、現在ではリベラルのペルソナを纏っているようだ。

Blinded by the Right: The Conscience of an Ex-Conservative

Blinded by the Right: The Conscience of an Ex-Conservative