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ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読むが文庫で読める



哲学書房から出ていた野矢茂樹の名著『ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』を読む』が、ちくま学芸文庫から出る。

この本はとても気に入っているので、以前書いた感想をこちらにも書いておきたい。





ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』を読む(野矢茂樹 著/哲学書房)


『『論理哲学論考』を読む』という本を読んでも、『論理哲学論考』を読んだことにはならない──これがこの本の書き出しである。まるで『論理哲学論考』の第1文「世界は成立していることがらの総体である」に匹敵する潔い言説。
それはこの本が「本物」であることを示している。何に対して本物かというと、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を理解するために必要なすべてが書かれてあるということ、つまり真に入門書として「本物」であるということだ。

通常、入門書は原典よりもコンパクトに書かれている。しかし『論理哲学論考』が特殊な作品なのか、この入門書は原典の何倍ものサイズで書かれている。それはこの本が冗長だというのでは決してない。それどころかリーダビリティ満点で、サクサクと読め、解説書とは思えない面白さを孕んでいる。

それが伺えるのが本書の最後の言葉、「語りきれぬものは、語り続けなければならない」。つまりこの本自体が、『論考』に対するひとつの「像」であり、ある「論理空間」を論じた「論考」なのである──だからこそ『論考』同様、魅力的なのだ。

繰り返すようであるが、この本を読んでも『論考』を読んだことにはならない。しかしこの本に「記述」された「要素命題」を「読む」ことによって、『論考』の課題が「共有」できるのは言うまでもない。だっていちおう『論考』のメカニズムさえ分かれば、あとは『論考』を読むだけなのだから。

そしてそのメカニズムとはまさに劇的に──気がついたら──馴染んでいた。人によってはもっと早い段階で理解するかもしれないが、僕の場合はちょうどこの本の半分くらいのところで、このこと(馴染んでいたこと)を感じた。
それは、著者の示した「数」の扱いで、「太鼓の音が3回鳴った」ことを「論考」風にアレンジしたところだ。ここで著者は「太鼓の音が鳴った、かつ、太鼓の音が鳴った、かつ、太鼓の音が鳴った」ではなくて「太鼓の音が鳴った、かつ、それに続けて太鼓の音がまた鳴った……」でもなくて、太鼓の音それぞれに「ブー」「フー」「ウー」という「名」を与えてから、「ブーが鳴った、フーが鳴った、ウーが鳴った」と書いた。

ここでパッと頭に浮かんだのは、『論考』ってもしかして「アルゴリズム」? そんなことを思って本棚から一冊の本を取り出し、最初のページを開いた。そこにはこんなことが書いてあった。

1.1 すべてのCプログラムには、特定の不可欠な構成要素と特徴が必ず備わっています。
1.2 プログラムの作成方法とコンパイル方法は、使用するコンパイラコンパイラを実行する前提となるオペレーティングシステムによって大きく左右されます。
1.3 変数とは、さまざまな値を格納できる、名前付きのメモリ上の場所のことです。変数が含まれないCプログラムなど役に立ちません。




ハーバート・シルト著『独習C』(柏原正三 訳、翔泳社

この「1.1」とか「1.2」とかの書き方といい、「すべて」とか「不可欠」とか「構成要素」とかいい、まるで『論考』のスタイルではないか(いや、コンピュータ言語が『論考』のスタイルを敷衍しているのかもしれない)。「必ず」と言い切っているところも。もしオペレーティングシステムを「私」に対応させたらどうだろう。だったら変数は?……以下同様。

そうか、『論考』って「ウィトゲンシュタイン言語」で書かれた、一種の「プログラム(アルゴリズム)」だったのか。
そういうものだったら、特定の「記述」に従って構文を記述し、その「言語」に従って世界を表現しなかればならないわけだ(そしてどんな優れたプログラマーでもバグはあるし、後で「パッチ」を当てたりするものだ)。
ちょっと「私の世界」(オペレーティングシステム)で「論考」(プログラム)を咀嚼(コンパイル)し、操作/実行してみたら、どんなアウトプットがディスプレイされるだろう。
……というふうに勝手に『論考』を理解した。いいのか?

12章5 これで本書の学習を終了しました。(中略)C言語は、一つの機能が別の機能を補完するようなきわめて統合された言語です。ポインタと配列の関係はまさにエレガントというしかありません。
12章6 C言語は、場数を踏んで覚えるのが一番です。C言語でプログラムを書きながら、ほかのプログラマのプログラムも研究しなさい。C言語が驚くほど早く身に付きます!




ハーバート・シルト著『独習C』(柏原正三 訳、翔泳社

「独り」で学習(独習)しながら、他のプログラマのプログラムを研究するというのが、C言語の習得の本質のようだ。

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

独習C

独習C