HODGE'S PARROT

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メンデルスゾーン版『マタイ受難曲』

1829年3月11日、フェリックス・メンデルスゾーンによるバッハの『マタイ受難曲』復活上演が行われた。それは音楽史上、最も名高い「出来事」の一つだろう。当時メンデルスゾーンは若干20歳だった。

例えば、ウィキペディアのメンデルスゾーンの項目を見てみよう。ベルリンのジングアカデミーで行われたこの演奏会が、いかに「歴史的イベント」であったかが窺える。

この日はニコロ・パガニーニのベルリンでの初リサイタルと重なっていたが会場には入りきれない人が千人もでたと言う。公演は大成功で、更に10日後の3月21日バッハの誕生日に第二回目の演奏会を行った。作品の素晴らしさを印象づける事を意図した為に大胆な削除も行い、テンポや強弱の変化を駆使している。演奏会場には、ベートーヴェンが第9交響曲を献呈した国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世や哲学者ヘーゲル、思想家フリードリヒ・シュライアーマッハー、詩人ハインリヒ・ハイネらがいた。

これ以降、ドイツでは、バッハ再興(ルネサンス)が起こり、「ドイツ音楽」のアイデンティティが明確に確立されていく。

メンデルスゾーンによるベルリンでの『マタイ受難曲』蘇演に続いてケーニヒスベルク、シュティッティンその他の都市で演奏が行われ、またシュレジンガー社からピアノ編曲版の楽譜も出版された。この公演はバッハの他の作品に対する関心も育てるところとなり。メンデルスゾーン自身も、生涯を通じ、作品目録をつくり、作品を指揮し、また楽譜出版を推進した。
こうしてバッハについての全世界的な理解と認識は、1829年の偉大な復活から始まったのである。




ハーバート・ファバーグ『三代のユダヤ人 メンデルスゾーン家の人々』(横溝亮一 訳、東京創元社)p.191

ただし、上記のウィキペディアの文章でも触れているように、メンデルスゾーンは『マタイ受難曲』復活演奏にあたり、オリジナル楽曲の諸所に手を加えた。全体の約3分の1をカットし、楽器編成を変えた。それは当時の(「現代の」)聴衆が、演奏時間四時間を要する大曲に耐えられないのではないかという危惧、そして

彼の目的は楽譜の学問的再生ではなく、当時の聴衆に対して作品を生き生きと甦らせるところにあった。




『三代のユダヤ人 メンデルスゾーン家の人々』p.189

「正典」(聖典)を弄くった、バロック音楽をロマン派音楽にしてしまった──メンデルスゾーンの所業は後に厳しく指弾されることになる。多くの音楽通史には、非難のニュアンスが込められる。しかも20世紀後半においては、オリジナル/ピリオド楽器の隆盛による「真なる」演奏、より「生き生きとした」原典主義が追い討ちをかける。

そんな「問題作」であるメンデルズゾーン版の『マタイ受難曲』のCDを手に入れた。Christoph Spering 指揮、New Berlin Chamber Orchestra の演奏。レーベルは naive(Tete-a-Tete)。

Bach: St Matthew Passion

Bach: St Matthew Passion


いったいどんな演奏なのかと──マーラーの『復活』みたいのか? ヴェルディのオペラみたいのか?──思っていたのだが……。
ぜんぜん、いいじゃん。
ちょっと考えれば、メンデルスゾーンの音楽がマーラーブルックナーにように暑苦しくないのは明らか。もちろん、確かに、弦セクションがエヴァンゲリストの伴奏としてシンフォニックに鳴り響くし、古いオーボエ群(オーボエ・ダモーレ)の代わりにクラリネットが使用されたりして、どうしても「原典版」との違いをまず意識してしまうけれども、それは「バッハの音楽として」決して「不当な」ものだとは思わない。それどころか、メンデルスゾーンのこの編曲、その才気は、とても素晴らしいと思う。美的だと思う──ピアノがオルガンの代わりに使われていたら、もっと印象的だったかもしれない。やはりメンデルスゾーンは天才だと改めて認識した。

メンデルスゾーンは彼自身の魅力、勤勉さ、そして何事も成し遂げる能力などで、ヴィクトリア時代の人々に強い印象を与えた。もし、誰かが音楽祭を組織し、その名声を高め、権威を得ようとするならば、メンデルスゾーンこそ適任者であった。
彼がユダヤ人の家系であることは、ベルリンでは常に排撃される理由になったが、それすら財産であった。ロンドンではユダヤ人は脚光を浴びつつあり、ユダヤ人であるネイサン・ロスチャイルドは有力な資本家だったし、また別に、ディズレイリはのちにヴィクトリア女王のもとで首相にもなった。メンデルスゾーンルター派キリスト教信者だったが、ユダヤの血筋であること、モーゼス・メンデルスゾーンの子孫であることなどは、イギリスの同時代人たちに、好意的に語られたのである。ウィリアム・メイクピース・サッカレイは友人にこう語っている。
「彼の顔立ちはこれまで会った誰よりも美しい。私たちの救い主イエスもこうだったのではないかと思えるほどだ」




『三代のユダヤ人 メンデルスゾーン家の人々』p.301


メンデルスゾーン家の人々―三代のユダヤ人

メンデルスゾーン家の人々―三代のユダヤ人