スキゾ分析はあらゆる事態に備えていなければならない。普遍的自由意志を説くことが決して重要ではなく、客観的束縛についてのわれわれの理解を拡大することが重要である。DNA[デオキシリボ核酸]の流れが記憶作用プロセスを変形させ、あるいは概日リズムを拡大することがあるのと同じく、ホルモンの流れがリトルネロに関して思いがけない能力を「解発する」ことがあり、一見最も突飛で、最も「反─自然」であるような交尾や結婚も常に可能の次元にあることをわたしたちは見てきた。
ジェイムズ・ミラーの『ミシェル・フーコー 情熱と受苦』(筑摩書房)は、フーコーの理論的業績・思想的営為を「個人的な」同性愛の問題に──つまり心理学的に、精神分析的に──還元し、矮小化し、物語化してしまったと、かなり評判が悪い。
デイヴィット・M・ハルプリンも、ミラーに反論すべく、『聖フーコー ゲイの聖人伝に向けて』を書いた。
しかし、たまたまフーコー関連で検索していたら、とても「笑える」文章に出くわした──それが『情熱と受苦』の一節だった。
カリフォルニアのコミューンの小屋で学生が尋ねる。精神分析を受けるならどこがいいでしょう。フーコーは答える。「フロイト派だね」。ドゥルーズ・ファンだったその学生は仰天して、「スキゾアナリストではだめですか」。フーコーは笑いころげる(298)。
あまりにも出来過ぎた小噺。中山氏が言うように「ぼくたちも一緒に笑う」という感じだ。
性器──実際には性器のイメージ──が威嚇手段として介入するのは、種に対して内部にある空間的な範囲限定的諸アジャンスマン(そして要するにそれは一つの「社会空間」を構成する)においてのみであり、捕食動物/自己の種という示差的顔面性─身体性が介入するのは、一種の「生存判別式」としての固体化された諸アジャンスマンのレベルにおいてのみであることを強調しておこう。したがって、両者とも通過成分として、はっきりと限定された状況においてしか機能しないのである。それゆえ、それらはクライン的な意味の「部分対象物」とか、あるいはラカン的な意味の「a」対象物としてではなく、ただ、ある外的なものの集団的あるいは個人的記号論化作用に協力する作用素、具体的機械としてのみ看做されるであろう。
フェリックス・ガタリ『機械状無意識』
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Saint Foucault: Towards a Gay Hagiography
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