HODGE'S PARROT

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ジュリアス・カッチェンのシューベルト、シューマン、ショパン

HODGE2005-05-08




オーストラリア DECCA から出ている「ジュリアス・カッチェンの芸術」シリーズの8枚目。『Art of Julius Katchen Vol8』(ASIN:B00006IKP6)。

何より、まず、ジャケットで使われているカッチェンのポートレートがよい。これはピアニストのポートレートとしては、完璧に理想的なものだと思う。とても印象的なモノクローム写真だ。

そして録音の良さ。ほとんどの曲が、1950代年後半に録音されたモノラルなのだが、とても音が良い。さすがデッカだ。

もちろん演奏も素晴らしい。シューマンの『謝肉祭』では、《キャリアーナ》〜《ショパン》〜《エストレルラ》と連続する「三人の観念的な人物像」が描かれるシーンの詩情、間奏にメカニックな《パガニーニ》が挿入される《ドイツ風ワルツ》の輝かしいピアニズム、フィナーレ《フィリスティンたちを打つダビド同盟の行進曲》の豪快さ、打鍵の力強さ。通常はオミットされることが多い《スフィンクス》も、カッチェンはトレモロまじりで弾いている*1

シューベルトの『さすらい人幻想曲』も秀逸。ショパンの2曲のソナタは、とにかくドラマティックで聴き応えがある。ま、ポリーニとかの「現代ピアニスト」と比べると、どうしても表現が「古風」というか、大げさ気味に感じられてしまうが。とくにあの「葬送行進曲」では、低音が鐘のように──まるでラフマニノフの曲のように──重々しく鳴らされる。

大曲ばかりではなく小品も印象的だ。ファリャの『火祭りの踊り』やメンデルスゾーンの『ロンド・カプリチオーソ』、ショパンの『英雄ポロネーズ』、そしてシューマンの『トッカータ』では、至難なメカニカルな技巧がこれでもかと披露され、楽しませてくれる。
また、シューマンの『アラベスク』、ドビュッシー『月の光』、メンデルスゾーン=リスト『歌の翼に』、バッハ=ヘス『主よ、人の望みの喜びよ』といった叙情的な曲は、ピアノが美しく響き、優しく、聴いていて、とても心地よい。

このことをカミーユ・レヒトはうまい比喩を使って説明している。
「ヴァイオリン奏者は、まず音を作り出さねばならない。音を探し、瞬時にそれを見つけねばならない。ピアノ奏者の場合、鍵盤をたたけば音が鳴る。画家も写真家もやはり楽器を、つまり道具を用いる。画家がスケッチをし色を塗るのは、ヴァイオリン奏者が音を作り出すことに対応する。写真家はピアノ奏者と同様、メカニックなものを前提とする。このメカニックなものは、制約を与える諸法則に支配されている。ヴァイオリン奏者はそうした法則に左右されることがはるかに少ない。いかなるパデレフスキも、かつてパガニーニが発揮したような伝説的とさえ言える魅力を発揮することはないだろう」。だが──たとえ話を続けるとすれば──写真界でブゾーニに当たる人はいる。


ヴァルター・ベンヤミン『写真小史』(『ベンヤミン・コレクション1』、ちくま学芸文庫

*1:そういえばアンドレイ・ガブリーロフも似たような弾き方をしていた