当時のソ連はエジプトに戦闘部隊を派遣し、シリアによるヨルダン侵入を背後で画策し、キューバのシエンフエゴスで海軍基地を建設し、中ソ国境で紛争を起こしていた。こういったソ連の世界的野心を封じ込めるために何らかの手を打たねばならないと米中両国が考えたのであれば、米国にとっては明らかに「チャイナ・カード」であるし、同時に中国にとっては「アメリカン・カード」になろう。ニクソンの戦略的思考からすれば、日本の軍事大国化を阻止するためには、日本に対して「チャイナ・カード」を切ることもあり得ようし、ソ連あるいは中国共産主義に対抗するために結んだ日米安全保障条約はときと場合によっては「ジャパン・カード」の役割を演ずることにならないだろうか。
p.180
リチャード・ミルハウス・ニクソンの印象は良くない。ウォーターゲート事件でホワイトハウスを追われたというスキャンダルは容易に拭い去ることはできない。
この本では、しかし、そんなニクソン元大統領の政治家としての資質を再評価する。具体的には中国との国交正常化を果たした稀有な「戦略」を持った人物として。そしてウォーターゲート事件以降、ニクソンに貼られた個人攻撃としか思えない「レッテル」を返上させる。
とくに「電撃的な訪中発表」に至る経緯は、冒険小説・スパイ小説のように面白い。いくつも送られる「対中和解のシグナル」、キッシンジャー補佐官──彼はメッテルニヒ研究家でもある──の隠密の中国訪問なんてまさにそうだ。
役者もジョージ・ブッシュ(パパ・ブッシュ)から、作家のアンドレ・マルローまで華々しく登場する。そして当時、「対日事前通告」をしなかったアメリカの日本に対する「不信感」と、米外交における日本の「価値」も再考に値する。
一九六九年一月二十日にホワイトハウス入りしたニクソン大統領は、一年間にいくつもの外交上のシグナルを中国に送った。が、毎日のニュースを報道する、一つ一つの点を追いかけている記者は観察眼こそ細かいが、点を線にしたり、面にしたり、ときには立体を頭の中で描き出す作業には必ずしも適していないのかもしれない。あとになって、あのニュースとこのニュースは連動していたなどと解説を書いてみせるが、所詮それは後講釈になってしまうのである。
p.141
また、政治的な現実主義者=「熟練の風見鶏」ニクソンが心酔したというイギリスの政治家ディズレーリとの相違点もなかなか興味深い。
ベルリン会議に持ち込むまでのディズレイリの駆け引きの見事さは、ブレイクの『ディズレイリ』伝であまるところなく分析されている。ビスマルクは七十三歳のディズレイリを称して「あのユダヤ人の老人、かれは人物だ」と思わず呟いたという。野党自由党のグラッドストーン党首は、ディズレイリのトルコ支援に対して、「腐敗政権支持は英国の伝統的な政策に反する」と強硬な批判を加えたが、ディズレイリは「国家」と「国民」の「価値」を守るためには、手段を選ばぬ、冷酷非情な外交を展開したと考えていい。ニクソン大統領の秘密裡の対中国外交によって日本は、「ニクソン・ショック」を受けるが、ニクソン外交とディズレイリ外交の類似点はこの辺にあるだろう。
p.91
著者は最後に「ニクソン外交に照らす日本の外交の危うさ」を指摘する。「沖縄返還問題」における佐藤栄作首相の言動(政策)は、ニクソン外交の「凄さ」と比較して、「日本外交の危うさに背筋が寒くなる思いがする」と。
また、オリバー・ストーン監督による映画『ニクソン』を批判する著者の意見にも重みがある。それは最近でも似たような「事例」を容易に想起させるからだ。
健全な民主主義にあっても、一時の興奮や熱狂で一人の人物に不公平な評価を下す例は少なくない。が、社会が異常な熱から醒めれば、自然な評定に戻るであろう。それだからこそ民主主義は「健全」と言えるのかもしれない。では、日本の民主主義は健全であろうか。依然としてニクソンについては一面だけの分析しかなされていないように見受けられる。
p.235
- 作者: 田久保忠衛
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