HODGE'S PARROT

はてなダイアリーから移行しました。まだ未整理中。

「平等」に抗して 〜 フィリス・シュラフリーの「特権を奪わないで」運動と中絶の権利


アメリカ合衆国について、アメリカ以外の国や地域に住む人は、どれくらい知らなければならないのか。アメリカ社会についてどれくらい学び、どれほどの知識を吸収し、それをどのように活かしているのかを誰に認めてもらえばいいのか。アメリカの事例を知り学ぶこと、それはアメリカ人のように考え、アメリカ人がするような手順を踏み、アメリカ人がそうやってかつてしたことと同じことをすること、なのだろうか。そうだとしたら、そのようなことができない自分のような人間はどうしたらいいのだろうか?
ぼくは勉強ができない──そういうタイトルの小説を思い出し、そのことを重々自覚し、それを恥じながら、それでも少しだけアメリカ社会について学ぼうと努力すべく以前ブログ記事を書いたときに参照した本をめくってみた。

荻野美穂『中絶論争とアメリカ社会 身体をめぐる戦争』。タイトル通りアメリカにおける中絶をめぐる「内戦」を取材したもので、アメリカ社会における中絶とはいったいどういった位置づけになるのかを知りたいと手にとった。しかし、この本を読んでいると、むしろ中絶をめぐる言説によってアメリカ社会とはどのように位置づけたらいいのかを考える手がかりになったように思う。中絶の問題を抜きにアメリカの政治や社会をどのように語ることができるのか?

著者は中絶を女性の「権利」と捉えアメリカにおける女性運動史の中にそれを位置づけている。しかし中絶を「女性の」権利と考えない人たちいる。胎児の生きる権利、生命の尊重をより重視する人たちがいる。こうした論争の中で「女性の権利」というものにスポットライトが当てられる。何が「女性の権利」なのかという議論へシフトしていく。「女性の権利」とは何かという議論が先鋭化しながら展開していく。
もともと中絶に関しては、それが「権利」として表象されることに対して、「すべての」女性が賛同したわけではない。実際、中絶反対運動は草の根レベルで多くの女性が参加している。彼女たちは、フェミニズムの掲げた「女」の定義にも、フェミニストが女の利害を代弁することにも反対する。彼女たちは、中絶の自由が女性の解放の条件であるという考えに反対したのである。
こういった状況のなかで登場するのがフィリス・シュラフリー(Phyllis Schlafly, 1924-1916)という保守派女性活動家である。


米の女性保守活動家、P・シュラフリーさん死去 92歳
2016.9.6 11:24 産経新聞

24年、セントルイス生まれ。72年に超保守派の政治団体を設立し、減税や強力な軍隊の保持、英語のみの教育を推進。70年代に「女性は妻や母親として家にいる権利を持つべきだ」と主張し、男女平等憲法修正条項への反対運動を展開した。今年3月には米大統領選の共和党候補トランプ氏の支持を表明していた。

ロー対ウェイド事件について「合衆国最高裁判所史上最悪の決定」とし、「何百万もの胎児を殺すことである」と語った。


ウィキペディアのフィリス・シュラフリー記事 


『中絶論争とアメリカ社会』では、フィリス・シュラフリーは同世代のフェミニスト、ベティ・フリーダンと対になって語られる。『女らしさの神話』(邦題『新しい女性の創造』)を著し、全米女性組織(NOW)を設立、新しい女性運動を率いたフリーダンに対する「強力な敵」シュラフリーとして。そしてこの本に限らず、中絶に関する著著では必ずと言っていいほど触れられる宗教の差異において、明快に胎児を人とみなさないユダヤ教と、明快に受精の瞬間から人間の生命とみなすローマ・カトリックのそれぞれの代表として。


男女平等憲法修正条項(ERA, the Equal Rights Amendment)への反対
1919年、合衆国憲法修正第19条の成立によって「フェミニストの」長年の悲願であった女性参政権が実現した。これは1848年のセネカ・フォールズでの女性参政権要求から約70年、南北戦争後の黒人男性への参政権付与から半世紀以上の年月を費やした。なぜ、「女性の権利」である女性参政権の実現が、これほど困難だったのか?
それは著者が述べるように、参政権という「女性の権利」に反対したのは決して保守的な男性ばかりではなかったのである。女性が参政権という「権利」を獲得することによって、伝統的な女性役割や家族のあり方が変わってしまうという女性たち自身による危機感がそれに反対したのである。パメラ・コルヴァーとヴァージニア・グレイは「女だけが、自分たちの解放に組織的に反対した唯一の大きな集団だった。黒人や無産階級の男性ではそんなことはなかった」と述べている。合衆国憲法に男女の「平等」をはっきりと示すことを意図したERA(男女平等憲法修正条項)に関する論争は、女性参政権という「女性の権利」をめぐって、女性たちの間で、すでに激しい対立を引き起こしていた背景をそのまま引き継いでいた。

1923年、セネカ・フォールズで開催された女性参政権要求宣言75周年大会で、戦闘的サフラジェットで全米女性党を結成したアリス・ポールは、参政権に次ぐ運動目標として以下のような憲法修正案を提示する──「男性と女性は、合衆国およびその法が支配するすべての場所において、平等の権利を有する」。(p.174)

1971年10月、ERAは連邦議会下院を354対3の圧倒的多数で通過し、翌72年3月には上院を同じく84対8という大差で通過した。修正案の条文には、「法の下での平等は、合衆国によっても州によっても性を理由に拒否されたり制限されてはならない」とうたわれていた。……最初期に批准した州では満場一致、それ以外もほとんどが大差で議案を通過しており、合衆国憲法に男女平等が明記されるのはもはや時間の問題であると思われた。連邦最高裁がロウ・ドウ判決によって中絶を合法化したのはまさにこの時期であり、ERAと中絶は、NOWが女性の権利憲章で両方の問題をかかげていたこともあいまって、女性解放運動を象徴する二大テーマとして強く印象づけられることになったのである。



『中絶論争とアメリカ社会』(岩波書店) p.177

同時に、「平等に抗する」女性たちの運動も生まれる。彼女たちは「女」であり続けることを宣言する。誇りをもって、懸命に「主婦」になろうとする。性差別万歳!、性差別上等!を掲げるグループも行動を起こす。全米各地で、草の根レベルで「平等に反対する」女性たちの抵抗運動が繰り広げられる。
フィリス・シュラフリーは1972年、「STOP ERA」を結成し、男女平等に反旗を翻す本格的な組織的活動を開始する。彼女は数多くの著書を出版し、政治活動、講演を活発に行い、「フィリス・シュラフリー・レポート」というニューズレターを発行する。「平等に抗する」女性は自分たちのシンボル・カラーをピンクに決め、ピンク色の服を着て、議会議員に対するロビー活動を行った──「パンを焼く人(女性)からパンを稼ぐ人(男性)へ」、と自家製のパンやジャム、アップル・パイを男性議員に配るデモンストレーションを行った。

WMNST 530 - Class Project - Phyllis Schlafly and the STOP ERA Movement

(フィリス・シュラフリーは)1970年代、STOP ERA キャンペーンの主催者として男女平等憲法修正条項(ERA)に対してあからさまに反対の立場を取った。この場合の"STOP" は"Stop Taking Our Privileges" (私達の特権を取り上げるな)の頭文字である。社会保障制度の「扶養妻」の恩恵、徴兵登録の免除などを含む女性としての性差における特権をERAが取り上げることに異議を唱えた。

1972年、彼女がERAに反対し始めた頃、承認必要数38州に対し28州のみを獲得しており、承認には遠かった。彼女のキャンペーン後、5州がERAに承認したが、5州が承認を撤回。インディアナ州上院議員ウエイン・タウンセンドが承認の同点を破りインディアナ州はERAを承認。シュラフリーは「the ERA would lead to women being drafted by the military and to public unisex bathrooms. (ERAは女性を徴兵し、男女兼用公衆トイレを作るつもりなのか)」と異議を唱えた。全米女性機構(NOW)とERAアメリカ連合などの団体にも反対した。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC


フィリス・シュラフリーが説いているのは、ERA(男女平等憲法修正条項)は仕事のキャリアを持った若い女性を念頭に設計されている、だからそこにおいては「スキルのない中年女性」は排除されている、ということである。こういう状況で男女平等になった場合、仕事のスキルのない中年の女性はその恩恵に与れないどころか、主婦という「特権」が奪われてしまう。
さらに「平等に抗する」シェラフリーたちは、ERAが実現すれば男女間の差異は否定され、ありとあらゆる場で男女を「平等に」=まったく同じに扱うことが強制されることになる。それは女性にとってどういうことなのか、と訴えた。

  • それは夫の扶養義務が廃止され、女性はフルタイムの妻や母である「権利」が認められない、離婚しても扶養料や子どもの親権が認められないことである。
  • それは強姦罪がなくなることである。
  • それは公立学校や州立大学では、女子と男子が同じ運動チームに入ることになることである。
  • それは「平等が実現した」場合、同性婚が認められ、トイレは男女共用となり、男女平等に徴兵されることである。

シュラフリーらはユニセックス社会のイメージを不安をかきたてるプロパガンダとして効果的に使用した。とりわけ男女共用トイレに関しては、強姦に対する恐怖感を煽り、白人女性と黒人男性が接触することに対する人種的反感に訴え、保護されるべき/保護を受けるという「女性の権利」がERAによって奪われてしまうことを巧みに喧伝した。


女性兵士と〈殺す権利〉
1972年当時、アメリカはまだヴェトナム戦争の最中にあった。フェミニストの多くはヴェトナム戦争や徴兵制には反対であったが、「平等をめざす」女性たちの中には、軍務において負うべき責任も男性と平等でなければならないという意見もあった。軍士官学校からの女性の排除、入隊における制限的基準は、性差別の根本的禁止と合致するように変更されるべきである。女性の特別扱い、すなわち「女性の保護」は、女性の差別的扱いにつながる。「平等の権利」の中には「女が国のために戦って死ぬ権利」や「国のために人を〈殺す権利〉」も含まれるというフェミニストの立場もあった──徴兵に際し「息子と娘のどちらかを選ぶことはできない」。こうした軍務におけるフェミニストたちの男女平等をめぐる議論を窺い、この期を捉え、シュラフリーら保守派女性たちは「軍務の平等」をERAへの反対材料として、盛んに、激しく、攻撃を加えていく。

1982年にERA(男女平等憲法修正条項)は期限切れで不成立になった。「平等に抗し」ERAを阻止したフィリス・シュラフリーらはワシントンで大祝賀会を開いた。参加者の大多数は女性であり、「女たちの大勝利」「女たちの偉業」をたたえた。レーガン大統領から祝電が届けられ、次なる「平等に抗する」運動目標の一つは、教科書からのフェミニズムの影響を取り除くことであると宣言した。(p.184)


平等とは何か

憲法に男女平等を明記しようとすることがこれほど激しい議論を呼び、結局は憲法修正が不成立に終わる結果となったのはなぜなのだろうか。それは1920年代のERA(男女平等憲法修正条項)提唱当時の論争が示すように、そこに含まれる「平等(equal)」という語が、たんなる抽象的対等性ではなく「男女の扱いにいかなる区別ももうけない」という意味あいを持っており、したがって「男と女はまったく同じ」と主張し、性差の存在そのものを憲法によって否定しようとしていると解釈されたためである。性差についてはフェミニズムの中にも多様な考え方があり、先にも述べたように男とは本質的に異なる女性性の存在を主張し、それをよりどころとして女性解放を考えようとする立場も存在していた。しかし一般の人には、フェミニズムは性差の存在という自明の事実を無理やり否定しようとしていると受けとられがちであった。しかもERA推進の中心となってきたのは、本質的女性性の存在を信じる文化派フェミニストよりは、女が男と対等に社会に進出し、その際に個人としての自由や権利が妨げられないことを最も重視するリベラル派フェミニストたちであった。反対派は、このERAの持つ「平等=性差の否定」という含意に対して激しく反応し、そこを最大の攻撃点にしたのである。

(中略)

フェミニズム、とりわけリベラル・フェミニズムの中では、こうした身体的性差、すなわち女の身体の「特殊性」を強調することは生物学的決定論への回帰であり、男女の差別的扱いの容認につながるものだとして忌避されがちであった。それがERA(男女平等憲法修正条項)論争においては、軍務についても男女はまったく「平等」に扱われるべきだとするNOW(全米女性機構)の主張の根拠ともなっていた。だが中絶の定義の書き換えを求める前述のような声は、女という性的身体の視点から見直してみるならば、ジェンダー中立的に見える「個人」の基準もしくは内実はじつは男でしかないのだと指摘することによって、むしろ「個人」や「平等」という近代社会の基本理念そのものの意味や妥当性を再検討することを求めているのである。
また、そこではたとえば「安全に中絶を受ける権利」のように「権利」という語が用いられる場合もあるが、中絶によりふさわしいキーワードは「権利」よりも「責任(responsibility)」だとする傾向が認められる。




『中絶論争とアメリカ社会』 p.184-185、p.254 *1


中絶
『中絶論争とアメリカ社会』で著者は、ERAにおける論争と中絶における論争の類似点を指摘する一方、その相違点にも注意を促す。それは「権利」をめぐる対立の構図の中に、中絶の場合には、女性以外の別の「当事者」の存在が絡んでいるからである。その当事者とは、すなわち胎児のことである。胎児の存在をどのように定義するかによって〈中絶という行為の意味〉がまったく異なってくる。(p.202)
CFFC(自由な選択を支持するカトリック)組織の代表であるフェミニスト、フランシス・キリングとドニーズ・シャノンとの論文が紹介される。彼女たちは次のように述べる。「私たちは、広い範囲の状況において必要で、道徳的にも弁護しうる選択であっても、中絶はそれ自体が積極的な善ではないという事実を認めることを、はっきり明瞭にする必要がある。私たちは、胎児の生命には価値があることを認める必要がある」。そして自分たちが携わってきた「プロチョイス的価値」の表現に重大な変更を加える必要がある、と。(p.253)

*1:

中絶論争とアメリカ社会――身体をめぐる戦争 (岩波人文書セレクション)

中絶論争とアメリカ社会――身体をめぐる戦争 (岩波人文書セレクション)

  • 作者:荻野 美穂
  • 発売日: 2012/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)