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ブライヅヘッドのABC



映画『Brideshead Revisited』英国プレミア上映、出演者ら出席 [AFP]


それにしても、日本では、いつになったらこのイヴリン・ウォーの小説『ブライヅヘッドふたたび』の映画化作品──チャールズ役がマシュー・グード、セバスチャン役がベン・ウィショー──を観られるのだろうか。早く観たいんだけど、タイトルが原語のままってことは、まだ配給が決まってないとか? 

で、いくつかレビューをあたっていたら、1981年に放映されたTVドラマ版──チャールズ役がジェレミー・アイアンズ、セバスチャン役がアンソニー・アンドリュース──との比較をしている記事があった。某タブロイド紙なのであえてリンクはしないが。

そのドラマ版が ↓ この映像では ABC の音楽『All Of My Heart』*1が効果的に使われていて、これだけみると、今回の新作映画となんら遜色がないくらい「ゲイ映画」に見える──1981年作というと『アナザー・カントリー』(Another Country、1984)や『モーリス』(Maurice、1987)よりも前だ。
Brideshead Revisited with All of My Heart


この映像のなかで、チャールズとセバスチャンが裸になっているシーンがあるが、ここは小説では、二人は、イギリスの少数派であるカトリックについて「真面目に」会話している。何気に興味を惹く──映像ともども──場面だ。ちなみにセバスチャンの家族はカトリックで(セバスチャンの父親マーチメーン侯爵は英国国教会からカトリックへ改宗)、チャールズは無宗教で不可知論者である。

「だから、家は宗教的には色んな具合に分かれているんだ。ブライヅヘッドとコーデリアは本式のカトリックで、ブライヅヘッドはみじめになっているけれど、コーデリアはただもう朗らかなんだ。ジュリアと私は半分、異教徒で、私は仕合せだけれど、ジュリアはそうじゃないらしい。ママは一般に、聖徒だということになっていて、パパは破門されている。──パパとママとどっちの方が幸福なんだか。兎に角、どう考えて見ても、こういうことと幸福とは余り関係がないようで、それさえ解かっていれば私はいいんだ。……もっとカトリックが好きになればと思うんだけど。」
カトリックだって、他の人間と別に違っちゃいないじゃないか。」
「それが君には解からないことなんだよ、チャールス、殊にこの国ではね。数が少ないから。だから、徒党を組むっていうんじゃないんで、──実際には、そういう派が四つもあって、それが始終、お互いの悪口の言い通しなんだけれど、──そんなことよりも、その人生観が他の人達とは違っているんだ。自分達が大事だと思うことが違っているんで、それをなるべく隠そうとはしているけれど、いつもそれが出て来るんだ。そんな風に思うのは、考えて見れば当たり前なんだけれど、私やジュリアのような半分、異教徒のものには、それが困るんだよ。」
私達がこういう珍しく真面目な話をしている最中に、煙突の束の向こうから誰か、子供らしい声で、「セバスチアン、セバスチアン、」と呼んでいるのが聞えて来た。
「大変だ、」とセバスチアンが言って、毛布を一枚、引き寄せた。




イーヴリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』(吉田健一 訳、ちくま文庫) p.131-132 *2


カトリックだと、色んな可笑しなことを信じなければならないんだろうね。」
「可笑しなことだろうか。それならばいいんだけれど、どうかすると、恐ろしく当を得ているように思われることがある。」
「併し、セバスチアン、君はまさか、あれを全部信じている訳じゃないんだろう。」
「どうして。」
「いや、つまり、クリスマスだとか、星がどうしたとか、三人の王に牛に驢馬っていうような、ああいうことをさ。」
「いや、それは信じるよ。美しいじゃないか。」




『ブライヅヘッドふたたび』 p.127


[Brideshead Revisited]


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[関連エントリー]

*1:

Lexicon of Love

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*2:

ブライヅヘッドふたたび (ちくま文庫)

ブライヅヘッドふたたび (ちくま文庫)