イヴリン・ウォーの小説『ブライヅヘッドふたたび』(Brideshead Revisited 、1945)を原作にした映画がついに完成、アメリカで公開された。ジュリアン・ジャロルド/Julian Jarrold 監督、マシュー・グッド/Matthew Goode(チャールズ・ライダー)、ベン・ウィショー/Ben Whishaw(セバスチャン・フライト卿)、エマ・トンプソン(マーチメーン夫人)。
[Brideshead Revisited]
ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』は僕の大好きな小説のひとつで、毎年読み返しているくらいだ。グッとくるセリフやシーンが全編にわたって、ある。
若い時に無為というのは何と類がない絶妙なものだろうか。又、何と瞬く間に失われて、二度と戻って来ないものだろうか。若い時の特色であることになっている、情熱とか、献身的な愛とか、幻影とか、絶望とかは、──この無為だけを除いては、──凡そ我々の一生のうちに消えたり、又現れたりして、人生そのものの一部をなすものなのであるが、この無為だけは、──まだ疲れていない筋肉の弛緩や、精神が他のものから切り離されて自分自身を眺めているのは、──若いということに専属し、それとともに死ぬ、或は、地獄との境目の所に閉じこめされた古代の英雄達の魂は、神を見ることを許されない代わりに何かこの若い時の無為のようなものをその埋め合わせに与えられていて、神を見るということ自体がこの地上での経験と僅かながら何か関係があることなのかも知れない。兎に角、その夏ブライヅヘッドで過ごした無為の日々は、私には天国に近いものに思われた。
そして……今回の映画では期待通りの展開に。1945年に書かれた小説では仄めかされていた程度だった*2チャールズとセバスチャンの関係は……。
Brideshead Revisited 'will upset purists' with gay kiss [Telegraph]
But now a new film adaptation of Evelyn Waugh’s Brideshead Revisited will out Sebastian Flyte as a homosexual and even feature a gay kiss between him and Charles.
ベン・ウィショー演じるセバスティアンはゲイとして描かれ、チャールズとキスをするシーンまで「フューチャー」されているという。ま、『太陽がいっぱい』→『リプリー』のパターンだね(ともにパトリシア・ハイスミスの『The Talented Mr. Ripley』の映画化)。『ブライヅヘッドふたたび』は1981年にジェレミー・アイアンズ/Jeremy Irons とアンソニー・アンドリュース/Anthony Andrews の「コンビ」でTVドラマ化されていた*3。
「今晩は二人で本当に酔っ払おうか。」
「今晩だけはどう考えても、その為に困ることになるということはなさそうだね、」と私は言った。
「世界を向こうに廻してか。」
「世界を向こうに廻してだ。」
「有難う、チャールズ。もう私達に幾晩も残ってはいないんだからね」
そしてその晩、私達は何週間ぶりに本式に、情熱を込めて酔っ払って、オックスフォード中の教会の鐘が十二時を打ち始めた時に私はセバスチアンとそのコレッジの前で別れ、方々の建物の塔に縁取られて空の星も酔って踊っている下を私の部屋に戻って、その一年前はよくやったように、服を着たまま眠ってしまった。
『ブライヅヘッド ふたたび』 p.218-219
[Ben Whishaw]
それと、小説の引用部分でも見られるように、宗教(カトリシズム)の描きかたも興味を惹くところ──トレイラーの音楽を聴くと、部分的に、そのリズムと色彩感がちょっとメシアン風に思える。
Brideshead Revisited - Theatrical Trailer - Official
あれから二十年たった今、私はあの時したことで、しないで置くか、或は別な具合にした方がよかったと思うものは、先ずない。
『ブライヅヘッド ふたたび』 p.66
[関連エントリー]
*1:
*2:といっても登場人物の一人、アントニー・ブランシェ/Anthony Blancheの絡みでマルセル・プルースト、アンドレ・ジイド、コクトー、ディアギレフ、ロナルド・ファーバンクらの名前が「あからさまに」出て来る箇所もあるのだけれども。映画ではジョゼフ・ビーティ/Joseph Beattie がアントニーを演じている。
*3: Brideshead Revisited (BBC Audio)