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ブロンズィーノとマニエリスム



僕はマニエリスム/Mannierism の画家アーニョロ・ブロンズィーノが凄く好きなのだが、YouTube に彼の作品を紹介している映像があった。
Agnolo Bronzino


ミケランジェロラファエロの次の時代、つまり「盛期ルネサンス以後」の時代の芸術は、「マニエリスム」とよばれている。マニエリスムは二つの傾向に分けられる。一つは、ポントルモの芸術のように、盛期ルネサンスの調和的で晴れやかな表現に代わり、強い不安感や憂鬱な気分をあらわにしたものである。


Bronzino もう一方は、ブロンズィーノの芸術のように、極度に洗練された形式美や難解な主題を特徴とするもので、語源的にはこちらが本来のマニエリスムだ。というのは、この名称は、ヴァザーリが彼の時代の芸術の理想とした「マニエラ/maniera」という概念に由来するのだが、マニエラは英語の「マナー」に近く、「礼儀作法」の意味と「手法」「様式」の意味をあわせもつ。
ヴァザーリは、自然をこえた優美や洗練、ミケランジェロら先人の芸術についての広い知識、凝った着想と高度の技巧などを特色とする芸術を、「マニエラを有する芸術」として高く評価したのである。


だが、マニエリスムには形式主義に陥る危険もあった。私たちが「型にはまったくり返し」の意味で用いている「マンネリズム」という言葉は英語の「マナリズム」がなまったもの、つまりフランス語の「マニエリスム」なのである。




『名画への旅7 盛期ルネサンスⅠ』(講談社) p.110

Bronzino: Renaissance Painter as Poet

Bronzino: Renaissance Painter as Poet

マニエリスム芸術論 (ちくま学芸文庫) 今ではよく知られているように、十六世紀の芸術的表現を前後に二分するほどの大事件である反宗教改革に伴う図像変革が、実際の作品にその明らかな兆しをあらわすのは、どんなに早くても1560年代の半ば以後のことである。1563年に終結したトレント宗教会議の議決が実際に効力を発してくるのはもっとおそい。
そしてこの反宗教改革的な図像改革のもっとも著しい特色は、システィーナ礼拝堂の裸体批判に典型的に示されているように、まさに、このブロンズィーノの問題の作品で、もっともあざやかに目を射るような、この美しい裸体、ふた昔まえなら、育ちのよい子女の目にはとうてい入りきらなかったような、いかにも典雅な淫らさをもつこのような恋の表現なのである。


これは、さまざまな絵解きの意味を楽しみながら、同時にエロティックな想像もみたされることを求める、けっしてあけすけではなく、しかもモラリスティックないいわけとして、いかにも美しい偽善的な教訓をふくんだ、知的で洗練された好みをもつ、王侯貴族のたのしみのための芸術にほかならない。


(中略)


Bronzino's Chapel of Eleonora in the Palazzo Vecchio (California Studies in the History of Art) つややかで冷たく、鮮やかでしかも生気のないこの画面は、ミケランジェロの語法を借りて、根本的に彫塑的な着想から発しており、結晶化されたなめらかな形態と、それぞれの象徴的な意味を担った観念的な色彩からなり、その主題に秘められた意味は古代以来、淫欲の悪と危険を語る倫理的寓意とルネサンス的な愛の二重の意味合いとである。


しかし、われわれがより直接的に感じとるものは、ブロンズィーノとそのサークルの人々の生きた感性からむしろ媒介物なしに伝達される、ヴェールをかぶった官能的悦楽のイメージに他ならない。ここでは、ティツィアーノの「聖愛と俗愛」や、ミケランジェロの「勝利」の群像におけるような、「意味」と「形態」との間の調和が失われており、この間にはげしいねじれがあって、われわれに二重の印象を与えるのである。


ここにこそ、まさしくマニエリスムのもっとも典型的な表現がある。彼らの記号体系はこみいった、むずかしい、錯綜しきったものであり、そのサークルを外れたもの、そのエポックを外れたものにはほとんど意味をなさない。意味はそれと普遍的に了解できる形体と合致していない。
ブロンズィーノは優雅な逸楽を描きながら、逸楽は悪であり、愚かしいことであると伝えているのだ。




若桑みどりマニエリスム芸術論』(ちくま学芸文庫筑摩書房) P.113-114