HODGE'S PARROT

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シェーンベルク 『ワルシャワの生き残り』

Orchestral Works / Passacaglia

Orchestral Works / Passacaglia

A SURVIVOR FROM WARSAW [Los Angeles Philharmonic Association]

Music was a refuge for the internees of the Nazi death camps of World War II, both musicians in the camps and the audiences of prisoners. Some of the works written in concentration camps survive, even if the authors did not.


Schoenberg was deeply moved by a story he had heard – from actual survivors of the purge of Polish Jews – about a group of prisoners who began singing the “Schema Jisroel,” a traditional Jewish prayer (see translation below), as they were being led away to the death camp.

Schoenberg began his own dramatization of that story, A Survivor from Warsaw, in 1947. Interestingly, it was in the aftermath of his own personal story of survival: he had suffered a severe heart attack only months before, brought back from the brink of death by an injection directly into his heart.

にもかかわらず、われわれが少しばかりこのモティーフに固執しようとするのは、実のところ、ナチズムが問題になる際に、性急で乱暴かつ多くの場合盲目的に行われる、非合理主義という糾弾に対するわれわれの警戒と懐疑を際立たせるためである。
反対に、ファシズムの論理というものがあるのだ。それは、ある種の論理はファシズム的であるということを、そしてその論理が<主体>の形而上学における全般的論理に対して単に異質なわけではないということを、意味している。


フィリック・ラクー=ラバルトジャン=リュック・ナンシー『ナチ神話』(守中高明訳、松籟社)p.34

「う〜む いささか同性愛的」

「的じゃなくてそのもの!ホモ ゲイ 性的に倒錯したバイキンくんだ」



川原泉白泉社文庫「中国の壷」収録、「Intolerance」)

この点に関して、重要なのは、ユダヤ人はただ単に劣悪な人種、欠陥を持つ類型であるだけではないということを指摘することである。それは反-類型、すぐれて雑種なのである。それは固有の文化を持たず──とヒットラーは言う──、固有の宗教すら持っていない。といういうのも、一神教ユダヤ人以前のものだからである。ユダヤ人は Seelengstalt (魂の形態ないし形象)を持たず、したがって Rossengenstalt (人種の形態ないし形態)を持たない──その形態[forme]は不定形[informe]なのだ。それは、特異で具体的な同一性の人間に対立する、象徴的な普遍的なるものの人間なのである。

こうしてローゼンベルクは、ユダヤ人とはゲルマン人の「対蹠点」なのではなく、その「矛盾」なのだと明言するのだが、それが意味しているのはおそらく、ユダヤ人とは対立する類型なのではなく、あらゆる雑種形成──それはまた寄生でもある──の中に現前している危険としての、類型の不在そのものであるということだ。


『ナチ神話』p.69

現在政治的に力のある主流派の人権観の底に流れているのは、私の分析では、ナチ体験の理解です。つまり周囲に溶け込むこと、周囲と見分けがつかないようになること、区別がつかないようになることに生存がかかっているという体験です。平等の用語に当てはめると、あなたを異なっているという理由で殺した者の論理を批判する代わりに、同じであると認められる権利を求めて、そして同じになるために戦うのです。


なぜなら生き延びるためにはそうするしかないからです。


大勢のポーランドユダヤ人がイーディッシュ語しか話せないという理由で殺されたといわれています。彼らは非ユダヤ人として「通用」しなかったのです。アーリア系ドイツ人に似た容貌のユダヤ人はまだしも生き延びる可能性がありました。
だから同化すること──同じになること──が、あなたが何者であるかによって殺されることなく、同等に生きる権利を保障してくれるのです。
これは、支配的な基準に従い、自己決定より統合を優先させるという余儀のない認識なのです。統合が本当に可能なのかなどと考えてはなりません。絶対に基準を満たすことを許されない人たちのことを考えてはなりません。基準そのものに異議を唱えてはなりません。



キャサリン・マッキノン「戦時の犯罪、平時の犯罪」(みすず書房『人権について』より、中島吉弘/松田まゆみ 訳)p.129-130

ナチ神話

ナチ神話

中国の壷 (白泉社文庫)

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人権について―オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ

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