HODGE'S PARROT

はてなダイアリーから移行しました。まだ未整理中。

"Save Me"



iChatGay Blog で紹介されていた、『Save Me』という映画が面白そうだ──何よりもまず「その図像」に目を惹いた。メモしておきたい。

[Save Me (2007) ]

Save me Trailer


Boston Globe』 の記事を読むと、この映画は「信仰の問題」、すなわちキリスト教と同性愛を扱っているようだ──いうまでもなく「問題」(matter)は〈信仰〉の側にある 。
ストーリーは……セックスとドラッグに耽溺しているゲイの青年マークが「ex-gay program」という「ゲイであることをやめさせ、異性愛者に矯正するプログラム」を運営している宗教コロニーに──多分、彼の家族の「善意」によって──収容させられる。それが Genesis House というキリスト教系の施設だ。
(「ジェネシス・ハウス」ってのがちょっとカルトっぽいよね。マーガレット・ミラーの大傑作ミステリ『まるで天使のような』を思い浮かべる)
もちろんこの施設も「善意」に基づいて運営されている。そのモットーは、"rescuing" gay men back to Jesus──ゲイたちをイエス・キリストの正しき道に導き、彼らを「救う」(save)のだ。誤ったライフスタイルを送っている人たちを「救い」、正しい神の道に導くことへの〈信仰〉……映画は、その無益さ(futility)を──もっといえば、「その」〈信仰〉の過ちこそを──主題にしている。

そういう非常にシリアスで問題提起を孕んだドラマなのだが、そこには、ラブ・ストーリーがある、ようだ。というか、その施設は「ゲイをストレートにする・させる」という目的なので、そこにはゲイ、もしくはレズビアンたちが集まっているのだから……マークは、やはりそこに「入所」していたスコットという男と愛しあうようになる。彼らはその愛によって、自分たちが何者であるかを改めて認識する。確信する。二人は施設の教義──すなわち〈神〉に反旗を翻し、十字架を背負いながら愛のために闘う……というストーリーなのだろう。

なるほど、『movie info』 では、かの有名な「地獄への道は善意で舗装されている」(They say that the road to hell is paved with good intentions.)を引きながら、この映画の内容を紹介している。
ところで、上記の”Save me”の Trailer を見ると、気がつくのは、”私を救ってください”(save me)と叫ぶのは、収容されたゲイたちではなくて、彼らを〈改宗〉させようとする側、すなわち「ジェネシス・ハウス」を運営しているジュディス・ライト演じる──まるで天使のような──ゲイルなのだ。「問題」(matter)なのは、彼女(たち)の「善意」(good intentions)で舗装された天国=地獄への道、その〈信仰〉なのだろう。

〈わたしは邪悪な俗世間とのつながりを絶った。肉体の弱点を振り払った。わたしは霊的慰安を求め、魂の救いを求める。楽しむことなく過ごしてきたわたしは神様に慰められる。ひもじい思いをしてきたので、美食を楽しむ。裸足のまま荒地を歩いたので、天国のなめらかな黄金の通りを歩くであろう。ここで身を飾る考えを捨てたために、わたしは最高の美女になる。畑で腰をかがめて働いたために、真の信仰者のみ属する来世で、わたしは背筋を伸ばして歩く〉。
クインは窓外の荒涼とした景色を眺めた。
〈無事、天国に行けたことを祈っていますよ、シスタ。あなたが望みを果たしたことを心底から祈っています〉。




マーガレット・ミラー『まるで天使のような』(菊池光 訳、ハヤカワ文庫) p.306-307


この映画は、何度も言うが、そういう問題提起を打ち出している(観てないけどね)……なのだけど、マーク役のチャド・アレンとスコット役のロバート・ガントを始め、ゲイであることを公言している俳優や「ゲイ・ドラマ」に出演したことのある人たちが演じているので、どうやら「セクシーなシーン」がかなりたくさんありそうだ。楽しみ。

ひとりよりもふたりが良い。
共に労苦すれば、その報いは良い。
倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。
倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
更に、ふたりで寝れば暖かいが
ひとりではどうして暖まれようか。
ひとりが攻められれば、ふたりしてこれに対する。
三つよりの糸は切れにくい。




コヘレトの言葉 4.9-12 (新共同訳『聖書』より)