HODGE'S PARROT

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エマーソン・クァルテットの『フーガの技法』、そして……




ファッション雑誌で「古楽器サウンド」なる特集が組まれる最近の状況を鑑みれば、艶やかなヴィブラートを多用しモダン楽器を清新溌剌と鳴らすバッハなぞ、何やら反動の極みと謗られるかもしれない。

バッハ:フーガの技法

バッハ:フーガの技法


しかしこれが最高にいいんだな。エマーソン弦楽四重奏団(Emaerson String Quartet)のバッハ『フーガの技法』は、「技芸」(Art)の何たるかを雄弁に知らしめてくれる。技巧は美しい、技術は芸術である、と。

せっかくだから、『フーガの技法』の構成を記しておきたい。

フーガの技法 The Art of Fugue
コントラプンクトゥス1 Contrapunctus I
コントラプンクトゥス2 Contrapunctus II
コントラプンクトゥス3 Contrapunctus III
コントラプンクトゥス4 Contrapunctus IV
コントラプンクトゥス5 Contrapunctus V
コントラプンクトゥス6(4声、フランス様式による) Contrapunctus VI, A 4, In Stylo Francese
コントラプンクトゥス7(4声、拡大と縮小による) Contrapunctus VII, A 4, Per Augmentationem Et Diminutionem
コントラプンクトゥス8(3声) Contrapunctus VIII, A 3
コントラプンクトゥス9(4声、12度における) Contrapunctus IX, A 4, Alla Duodecima
コントラプンクトゥス10(4声、10度における) Contrapunctus X, A 4, Alla Decima
コントラプンクトゥス101(4声) Contrapunctus XI, A 4
コントラプンクトゥス 反進行における拡大によるカノン(14a) Conon Per Augmentationem In Contrario Motu (14a*)
コントラプンクトゥス102(4声) rectus Contrapunctus XII, A 4, Rectus
コントラプンクトゥス102(4声) inversus Contrapunctus XII, A 4, Inversus
オクターヴにおけるカノン(15) Canon Alla Ottava (15)
3度の対位における10度のカノン(16) Canon Alla Decima In Contrapuncto
5度の対位における12度のカノン(17) Canon Alla Duodecima In Contrapuncto Alla Quinta
コントラプンクトゥス103(3声) rectus Contrapunctus XIII, A 3, Rectus
コントラプンクトゥス103(3声)inversus Contrapunctus XIII, A 3, Inversus
反進行における拡大によるカノン(14) Canon Per Augmentationem In Contrario Motu (14)
コントラプンクトゥス104(18) Contrapunctus XIV (18)
コラール《われ汝の御座の前に進む》(《われ悩みの極みにありて》)BWV668a(19) Chorale: 'Vor Deinen Thron Tret Ich Hiermit' BWV 668a (19)


そして、「フーガ」とは何か。以前のエントリー「最後のフーガの技法」でも引用したダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル, エッシャー, バッハ』をもう一度、ここに。

フーガの何たるかも、簡単に説明したい。フーガはカノンに似ており、基本となるひとつの主題がふつうは異なる声部や調で演奏され、ときには異なる速さで、もしくはさかさま、あるいは逆向きに演奏される。けれどもフーガの概念はカノンよりずっとゆるく、したがって、もっと感情豊かで芸術的な表現が可能となる。


フーガののろしの合図は、その始まり方にある。単一声部が主題をうたうのだ。それが終わると、第二声部が五度上または四度下のどちらかで入ってくる。その間にも第一声部は「対位主題」をうたいつづける。つまり、リズム・和声・旋律の面で主題と対照をなすように選ばれた補助的主題である。声部がそれぞれかわるがわる主題をうたいながら入り、たいていは他声部のうたう対位主題に合わせてゆくが、あとの声部は作曲者の頭に浮ぶどんな奇抜なこともやっていく。全声部が「到着する」と、そこには何の規則もない。なるほど基準といえるものは存在する──けれども、公式によってしかフーガをつくることができないといった基準ではない。


音楽の捧げもの』の中の二つのフーガは、「公式で作る」ことなど絶対不可能な傑出した例である。たんなるフーガ性よりもずっと深い何かが存在している。




ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル, エッシャー, バッハ』(野崎明弘+はやし・はじめ+柳瀬尚紀 訳、白揚社)p.25-26


そして、同じく『ゲーデル, エッシャー, バッハ』の中から「半音階色の幻想曲、そしてフーガ演争」について。ここでは、亀とアキレスが「Aであり、そしてAでない」という「センテンスの結合」について、バッハの音楽をBGMに論争する。

亀  でもセンテンスを結合するには注意ぶかくなけりゃ。たとえば、「政治家は嘘をつく」が真だときみは認めるだろう?


アキレス  誰が否定するもんか。


亀  よし。同様に、「鋳鉄は沈む」は妥当な陳述だろ?


アキレス  疑いないね。


亀  すると、両者をいっしょにして、「鋳鉄は沈むと政治家は嘘をつく」が得られる。これはどうもおかしいよね?


アキレス  ちょっと待てよ……「鋳鉄は沈むと政治家は嘘をつく」? うん、へんだな、でも──


亀  だから、ほら、二つのセンテンスをひとつに結合するのは安全策じゃないだろ?


アキレス  でもきみは──きみの二つの結合の仕方ときたら──まるで愚かじゃないか!


亀  愚か? ぼくの結合にどんな反論がある? ほかの方法でやれというのかい?


アキレス  「そして」を使うべきだったね、「と」ではなく。


亀  べきだった? つまりきみ流にやったとしたならば、ぼくもそうすべきだったということか。


アキレス  違うよ──そうするのが論理的なことだってことさ。ぼく個人とは何のかかわりもないんだ。


亀  そこでいつもはぐらかされるんだよ、きみはきみの論理と高尚そうな原理とに訴えてしまうんだから。


アキレス  おい、亀公ったら、もういいかげん苦しめないでくれよ。「そして」の意味だってことはよくよくわかってるんだろ! 二つの真のセンテンスを「そして」で結合するのは無害なんだ!


亀  「無害」ときたか、へえ! 驚いたもんだ! それこそまさしく有害な計略さ、かわいそうに何も知らずにもぐもぐいってる亀を致命的な矛盾に陥れようってんだからな。もしそれがそんなに無害なら、なんでそうやけになってぼくにそれをやらそうってんだ? ええ?


アキレス  あいた口がふさがらないよ。まるで悪党あつかいだ、こっちは無邪気もこのうえない動機しかなかったというのに。


亀  誰しも自分のことをそう思うものさ……


アキレス  しくじりだったな──きみを出し抜こう、きみを自己矛盾に誘い込もうという言葉を使ったのは。いまいましい気持だ。


亀  当然じゃないか。きみが何をもくろんでいたかわかるんだ。きみの計画はぼくにセンテンス3を受けいれさせることだったろ、すなわち「ぼくの甲羅は緑であり、そして緑でない」こんな見えすいた虚偽は、亀の舌が腐ってもいえないんだ。


アキレス  悪かったよ、ぼくが始めたんだ。


亀  すまながることもないさ。そんなに気分を害しちゃいないよ。要するに、こっちはまわりの人間の不合理なやり方には馴れているからね。今日は楽しかったよ、アキレス、きみの思考が明晰に欠けるとしても。




ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環』p.192-193

鏡像のフーガ:あるフーガが、その楽譜の下に鏡をおいて映し出した形でも立派な音楽を構成するとすれば、その2つは鏡像フーガの関係にあるということができる。したがってこれには、もとのフーガに相当する「正立形」(正像、Rectus)と、鏡に映した「倒立形」(鏡像、Inversus)の2つがあることになる。第12と第13コントラプンクトゥスがこれにあたる




作曲家別名曲解説ライブラリー『J.S.バッハ』(音楽之友社)p.519

Mirror fugues, in which the complete score can be inverted without loss of musicality:


12. Contrapunctus XII, a 4: The rectus (normal) and inversus (upside-down) versions are generally played back to back.
13. Contrapunctus XIII, a 3: The second mirror fugue in 3 voices, also a counter-fugue.




The Art of Fugue [Wikipedia EN]

亀  ところで、バッハの名前の四文字がそれぞれ音符の名称だってことは知っていたかい?

(中略)


アキレス  すると彼の名前はちゃんと旋律になるわけか。



亀  奇妙だが本当だ。事実、その旋律を、彼の最も精緻な音楽作品の中へ巧妙に入り込ませている──つまり、『フーガの技法』の最後のコントラプンクトゥスのなかへ。これはバッハが書いた最後のフーガだ。ぼくはこれを初めて聴いたとき、どう終わるのか、見当もつかなかったね。突然、なんの警告もなしに、ふっと中断するんだよ。そしてそれから……死んだような静寂。
ぼくはすぐさま、そこでバッハが死んだのだと理解した。とても言い表せないくらい悲しい瞬間だ。そしてそれが僕に及ぼした効果は──もうどうしようもないって感じ。とにかく、B─A─C─H はそのフーガの最後の主題なんだ。それが曲のなかに隠されている。バッハははっきり指摘していないけれど、しかしそのことを知っていれば苦もなく見つけられるね。ほんと──いろいろなものを巧妙に隠す手がたくさんあるんだな、音楽には……





ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル, エッシャー, バッハ』p.95


ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版