『現代思想』1984年10月号・特集「フーコーは語る」より、アンドレ・グリュックスマンの『<測量士>フーコー』。
1984年は言うまでもなくフーコーが亡くなった年。これはグリュックスマン(André Glucksmann)が仏『リベラシオン』紙に寄せたフーコー追悼文である。
以下はその後半部分。フーコーの遺作『快楽の活用』、『自己への配慮』に触れている(前半は、新哲学派アンドレ・グリュックスマンらしく、フーコーの『狂気の歴史』──「大いなる閉じ込め」──を「わが時代の強制収容所」の理解に役立った、などと書いている)。
グリュックスマン文章は、ハードボイルド・タッチで、すごくカッコイイ。
彼が政治行動を起こすとき、人は彼に対して激しい言葉を浴びせかける。何の名においてあなたはそうするのか? あなたは<人間>の死を予告したのではなかったか? 血と涙、屈従への憎悪があなたを街角に立たせるのだというが、一体何をあなたは期待しているのか? いかなる<神>が、<人間性>についてのいかなる観念が、そしていかなる社会的企図があなたの歩みを導いているのか?
彼は親しい友人たち──キリスト者であれ、人道主義者であれ、マルクス主義者であれ──のこうした問い糾しにきわめて注意深く耳を傾けたものだった。くどくどしい説教だとか、あらゆる《ためになる》思想だとかに対する彼の嫌悪が、そうした友人たちのおかげで癒されたかどうかは私の知るところではない。おそらく彼にしたところで、こうしたものの尋ね方が質問術の真髄に達しているなどとは思えなかったはずだ。
『快楽の活用』の読者なら、愛情というものを処方可能な、コード可能な、普遍的な振舞いとして固定化してしまうことを避ける、そうした愛情についての考えがあることを知っているだろう。さまざまな《特異な変調》を尊重して余りあるミシェル・フーコーには、各人が何をなすべきかなどと口出しすることなど、もっての外なのである。彼が政治的場面で発する心の叫びはむしろ、してはならぬこと、させてはならぬことにこそ向けられているのだ。
彼が政治行動を起こさないとき、人はさらに激しい調子で彼に詰問する。君は途半ばにして立ち止まるのか? 白紙還元をおこなわぬような思想とは、<新世界>への出発点となる絶対的ゼロ地点に到達するために──ワルサーP38か、カラシニコフ自動小銃か、そのいずれに助けをかりるにせよ──破壊することを怠るような思想とは一体何なのか?
ミシェル・フーコーの<繊細ナル精神>は、極左主義を捨てた後の10年間のうちに、ダダイズム以来の理論的前衛を気取るテロリズム急進主義とも手を切ったわけだが、彼はこの精神を《自己への配慮》と命名した、言いかえるなら哲学がそれである。
かくして今や、脱構築=再構築の五ヵ年計画〔五年ごとにめまぐるしく変わる見取り図〕の数々は人の心をうんざりさせ、粛清合戦はほとんど何の変動も惹き起こさず、極端や過剰による超克の試みも海辺の砂遊びに他ならなくなった。
ソクラテスはダイモーンを友としていた。軽挙妄動を慎み、隠忍自重せよ、と何かを目論むのではなく、むしろ拒絶せよと彼の耳にささやく、かのダイモーンを。それと同様にミシェル・フーコーのもつ厳密な意味で否定的な普遍性は、いかなる至高の<善>なるものも燦然と輝かせたりはしない、そうではなく、見るに耐えぬものから眼を外らしてはならぬという、至高の位置からの強制をわれわれに課してくるものなのだ。
この地球と呼ばれる星の至る処で繰り広げされている<人権>をめぐる闘争において唯一の頼みとなる原則としては、諸悪を分析するに際しての明敏さ、そして約束を交わすことに対する破廉恥、これをおいて他に何があるだろうか? それゆえにこそフーコーなのである。
彼の書き残した数々の書物を読み終える度ごとに、私はまた新たな理解を深めつつ、かの誰もが知っている詩句を口ずさむ。
《不気味なものあまたあれど、人間ほどに不気味なものさらになし》(『アンティゴネー』)今や彼はその<場ならざる場>に、《まちの頂きに<国>から追放されて》、場も定めがたき奇妙な存在のままに、雷鳴に追われながらもけっして取り返されることのない一条の閃光となって、そこにどとまっている。