HODGE'S PARROT

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ロス・マクドナルド『一瞬の敵』

鴨たちは湖に戻っていなかった。おびえた黒鴨の群は、水面を渡って遠くの、反対側の岸に群れている。遠くからみると、黒鴨の群は、葬儀の参列者の集まりのように見えた。




ロス・マクドナルド『一瞬の敵』(小鷹信光 訳、ハヤカワ文庫)p.86


貨物列車に首を切断された男性の死体の傍で発見された三歳の男の子デイヴィ。首のない死者は身元を確認するものを一切持っていなかった。男は、デイヴィの父親なのか? 
やがて成長したデイヴィ青年は、過去の忌まわしい出来事を再現/再演すべく、ある実業家の誘拐に手を染める……。


家系図が必要なくらい複雑な人間関係に圧倒されるのはロス・マク作品なら当然のこと。クモの巣のように張り巡らされた伏線が、やがてその中央に居座るクモ=犯人の存在を明らかにする。その瞬間は、いつものことながら圧巻だ。ゾクゾクした。本文にも、ラストのそれを予告するような文章がある。

座って、思いをめぐらせてみようとした。私の心は円を描いてまわり、その円のちょっと先に、なにか一つ見落としているつなぎの環があるような、いらいらした欲求不満にとりつかれた。あるいはそれは、円の中に深く、あたかも円の中心点のように、死者のごとく深く埋もれているのかもしれない。


(中略)


天井の片隅のクモを見つめ、クモの巣のようにこの事件も、規則正しく、秩序だっていればいいのだがと願った。眠りにおち、大きなクモの巣にとらえられた夢をみた。クモの巣の活動圏内には、死んだ男たちの干からびた殻がいくつもぶらさがっている。クモの巣がルーレットの輪のように回転し、中央にいるクモは八本の足にそれぞれ一本ずつ、クルーピアの鎌を持っていた。クモはその鎌で私の体を引き寄せた。




p.287-288

この「夢」のとおり、リュウ・アーチャーにもクモが触手を伸ばしてきたのは言うまでもない。さすがロス・マク、巧い。

それにしても──他のロス・マク作品も同様であるが──陰惨で暗い作品だ。父親らしき首なし死体に一晩中寄り添っていた男の子のトラウマが、他の家族の悲劇と結びつき、事件が予想もしなかった方向へ導かれていく。「アメリカの悲劇」は、根深い。

○○○○は、デイヴィより年寄りで、動作も機敏じゃなかった。あるいはとつぜんの敵対行為に体が動かなくなってしまったのかもしれない。彼は、あんたが誰がみぬいたのか、××××? 死ぬ直前に、じぶんが誰に撃たれたのかと気づいていたのか? 




p.376

たぶんタイトルの「一瞬の敵」(The Instant Enemy)は上記の部分に関係しているのだろう。


一瞬の敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

一瞬の敵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)