HODGE'S PARROT

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ショスタコーヴィチ没後30年、生誕100年

打倒モーツァルト、2006年はシューマン・イヤーだ! とばかり意気込んでいたら、ショスタコーヴィチのことをすっかり忘れていた(汗)。
そう、TransNews の alfayoko さんが教えてくれたように、2006年はドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)の生誕100年なのである(2005年は没後30年だった)。

In praise of ... Shostakovich [Guardian]

There's no doubt about which composer will be dominating the airwaves this month and for most of this year: Wolfgang Amadeus Mozart, born in Salzburg 250 years ago. There's another great musical anniversary to be celebrated this year, however, and this time a real centenary: the birth in September 1906 of Shostakovich.

そういえば、『レコード芸術』(2005年8月号)は、「ショスタコーヴィチルネサンス」と銘打ったショスタコ特集号で、その内容の「濃さ」に感嘆したものだった。とても読み応えがあり、まさに永久保存版。
で、このレコ芸の特集に「私の好きなショスタコーヴィチの作品とディスク」という記事があり、指揮者兼ピアニストのミハエル・プレトニョフをはじめ、音楽家や研究者らが好きな作品&ディスクを挙げているのだが、交響曲第15番を挙げている人が多いのが目を惹いた。ちなみに一番有名で人気があると思われる交響曲第5番(邦題は「革命」)は誰も挙げていなかった。そういう時代なのかな、と思いつつ、僕も「5番は別(格)にして」、気に入っているショスタコのディスクを挙げてみたい。

Piano Concerto 1 / Piano Concerto 11

Piano Concerto 1 / Piano Concerto 11

  • アーティスト: Dmitry Shostakovich,Joseph Haydn,Jörg Faerber,Württemberg Chamber Orchestra,Martha Argerich
  • 出版社/メーカー: Dg Imports
  • 発売日: 1995/10/17
  • メディア: CD
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なんといっても、これ。ピアノ協奏曲第一番。そしてなんといっても、アルゲリッチのピアノ。終楽章のアルゲリッチのキレた演奏にしびれる。


Shostakovich/Kabalevsky : Cello Concerto No.1

Shostakovich/Kabalevsky : Cello Concerto No.1

チェロ協奏曲第一番。超難曲もモノともしないヨーヨーマのクールな弾きぶりが、これまた凄い。


Trio Pno 1/2/Romances (7)

Trio Pno 1/2/Romances (7)

ピアノ三重奏曲1番、2番。1番の簡潔でモダンな感じが好きだな、ショスタコらしい諧謔性と夢見るような叙情性が同居していて。
しかしそれよりも何よりも、このNAXOS盤がいいのは、カヴァージャケット。Jieyin Wang 氏の作品に魅了された。
[Jieyin Wang]

ショスタコーヴィチ:祝典序曲、交響詩「十月革命」、交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」、オラトリオ「森の歌」

ショスタコーヴィチ:祝典序曲、交響詩「十月革命」、交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」、オラトリオ「森の歌」

そして、『祝典序曲』、交響詩十月革命」、交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」、オラトリオ「森の歌」といった体制順応、国策賛美──と思しき──作品ばかりを1枚のCDに収めたアシュケナージ&ロイヤル・フィルハーモニー盤。アシュケナージは、周知の通り、ソ連から亡命した人物。それがこういった「政治的」作品を録音する政治的意図は? 録音は1989年から1992年というソ連崩壊の時期に行われている。
とくに『森の歌』は、共産党中央委員会による「ジダーノフ批判」を受けた作曲家が「汚名挽回」のため?に書いた(とされる)もので、共産主義国家ソヴィエト&スターリン礼賛音楽として有名。1950年のスターリン賞第1席を受賞し、見事「批判」をかわした。また「十月革命に捧ぐ」は、労働者向けの平明な響きの中に「10月、コミューン、レーニン!」とレーニンを称える歌が繰り返し入る、とても「香ばしい」音楽だ。

レーニンへ回帰するのではなく彼をキルケゴール的な意味で反復すること、それがわれわれの考え方だ。今日的な配置図のもとでレーニンと同一の衝動を奪還すること、それがわれわれの課題である。



スラヴォイ・ジジェク『迫り来る革命 レーニンを繰り返す』(長原豊 訳、岩波書店)p.15