HODGE'S PARROT

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無分別でソープオペラな「わが闘争」

それにしても、ある政治家が──つい最近まで同じ党で「仕事」をしていたのに──別の政治家を「ヒトラー」呼ばわりするのは、いかがなものか。たかが国営企業の民営化ごときの争点で。アウシュビッツの本当の犯罪が矮小化されてしまわないだろうか。

それと「刺客」の意味をわざわざ新聞広告に載せるセンスって何だろう。「イメージ選挙」ってやつですか。おお、恐い。

ダジャレCMも鬱陶しい。そういや、かつて「保守ピタル」なんていう興醒めCMもあったな。ま、「内輪」で愉しんでいるだけなんだろうな。

「たしかな野党」って一生政権取るつもりはないんだろうか。60年前の前衛って、現在の保守(ネオコン)よりクラシックだね。「主婦歴云十年」って、いかにもジェンダー・ロール遵守してきましたって感じ。

1939年の9月になる遥か以前から、その後起こった戦争の暗い影は既にヨーロッパ全土を覆っていた。
(中略)
私の方はというと、以下のような単純な三段論法が正しいと、なんとか信じようとしていた。
「イギリスが仮に参戦したとすると、何れにせよインドを失うことになる。」
「インドを手放すなど、もってのほかである。」
「であるから、イギリスが参戦することはない。つまり戦争は起こらない。」
この論理も、戦争そのもの同様さして元気づけにはならないが、長い目で見れば、多少なりともこのような非常時にあっては、人間的な心の動きのようであった。妹(=シモーヌ・ヴェイユ)もこうした見方をしていたようだ。


ストラスブールの友人たちの勧めとはいえ、『わが闘争』は未だ眼を通していなかった。読んでいれば先の三段論法にそれほど頼ることはなかっただろう。それにあの論法には重大な欠陥があった。私には明確であったこと、つまり勝ち戦であったとしてもイギリスはインドを失うことになる、ということが、チャーチルにはわかっていなかったのだ。チャーチルという男は、ことインドの話となると完璧なまでに無分別であった。



アンドレ・ヴェイユ『自伝 ある数学者の修行時代』(稲葉延子 訳、シュプリンガー・フェアラーク東京)p.149(旧版)