HODGE'S PARROT

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チャイコフスキー・コンクール延期へ

モスクワで来年予定していたチャイコフスキー国際コンクールの開催が、2007年に延期される。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050418-00000201-kyodo-ent

文化情報省によると、開催時期がサッカーのワールドカップ(W杯)と重なり、スポンサーが分散してしまう恐れがあることや、高い水準のコンクールにするため、準備に時間を要することが延期の理由という。

そういえば、中村紘子の『チャイコフスキー・コンクール』には、こんなことが書かれていたな。

そこに、セルゲイ・ドレンスキー教授が、りゅうとしたニナ・リッチのネクタイで登場。しかし、目がはれぼったい。
「ああ、なんてことだ。ついまた徹夜をしてしまった。どうして、サッカーの世界選手権大会とチャイコフスキー・コンクールとは、いつも同じ年の同じ時期に重なり合うんだろう!」


中村紘子チャイコフスキー・コンクール』(中央公論社

ドレンスキー教授の願いがやっと叶ったわけである。ただ、「このときの」コンクール開催国は「ソ連」であった。実態はどうであれ、共産党政権だったら「スポンサー」云々ということは、あまり大きな声で言えなかっただろう。

それと、この中村の本で興味深いのは、ヴァン・クライバーンのエピソード。クライバーンはテキサス生まれのアメリカ人で、1958年、冷戦の緊張感の真っ只中で開催された第一回チャイコフスキー国際コンクールの覇者。このときのアメリカの熱狂ぶりが凄い。
なんといってもクライバーンは、モスクワという「敵地」で「勝利」を得た人物だ。その戦線のニュースにアメリカは沸きに沸く(仕掛け人は『ニューヨークタイムズ』紙の記者)。
「一夜明けたら国民的英雄」になってしまったピアニストの帰国に際し、アイゼンハワー大統領自らがワシントン空港に出迎える。続いてホワイトハウスでの大事祝賀パーティ、そしてニューヨーク五番街での「凄まじい」凱旋パレード。レコードは百万枚のセール。

タクシーの運転手から食料品店のおやじさんから、教会の尼さんから小学生にいたるまで、アメリカじゅうの老いも若きも男も女もクライバーンの成功に夢中になり、我がことのように語りあった。そして、「まるでクライバーンみたい」というたとえが、テレビ、映画、ミュージカルなどのあらゆるメディアのなかに氾濫した。
「スーパースターの誕生」である。


中村紘子チャイコフスキー・コンクール