『レコード芸術』(音楽の友社)で連載されている、亀山郁夫の「20世紀ソヴィエト音楽における”抒情”の運命」は、政治と音楽の「関わりあい」について論じている力作評論である。
2005年1月号は「ショスタコーヴィチとスターリン権力」の第一回目。「全民族の父」ヨシフ・スターリンの死とショスタコーヴィチの交響曲10番の「関係」を分析している。
ここで興味深いのは、独裁者スターリンの存命中、ショスタコーヴィチは、<言葉>でもって自分の身を守っていた、ということだ。スターリン時代の最後の数年間、彼はカンタータ《森の歌》に代表されるソヴィエト体制礼賛音楽や、(プロパガンダとして機能する)映画の付随音楽を手がけていた。
映画音楽がもっとも政治的打撃を蒙ることの少ないジャンルであることはショスタコーヴィチとしても十分すぎるほどわかっていた。ジダーノフ批判による飛磔を避けるには、音楽にどこまでも「言葉」を介在させ、自らの政治的アリバイを明確にし、その立場をガラス張りにしておくしかなかった。
そしてスターリンの死。ショスタコーヴィチは交響曲10番を発表する。この作品には様々な<サイン>が盛り込まれていることが知られている。例えば、基本モチーフである「DSCH」は、ショスタコーヴィチのイニシャルであり、これはスターリンという「呪縛」からの「解放」の<サイン>であると解釈される。そして、
作曲者の吉松隆は、演奏時間でおよそ50分におよぶ大曲の前半、すなわち第1楽章と第2楽章に、リスト《ファウスト交響曲》からの隠された引用を探りあて、両者の内的呼応をめぐってみごとな謎解きを行った。吉松によれば、第1楽章の低弦が見せる上行の3つの音には《ファウスト》の主題が、第2楽章アレグロには《メフィスト》のモチーフが隠されており、それらはとりもなおさず、ファウスト=ショスタコーヴィチ、メフィスト(悪魔)=スターリンの関係性を暗示するものだという。
これらの<サイン>は、<言葉>で表現されているのではない。音に託されている。この巧妙な音楽による「背信」は、亀山郁夫によると、「臆病」を自認する作曲家が、「見破られない」とのしたたかな確信あってのことらしい。
この10番交響曲は、有名な5番を演奏しなかったヘルベルト・フォン・カラヤンが二度も録音している。このことは、かつての西側を代表する指揮者の政治的態度かもしれない。
一方、ソ連の亡命者アシュケナージは、「あえて」、国策音楽とされる楽曲をカップリングしたCDを出した(前述の《森の歌》、《祝典序曲》、交響詩「十月革命」、交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」。またこのCDの解説は、吉松隆が書いている)。
しかし冷戦終結後の現在、ショスタコーヴィチに対する「脱神話化」が進んでいると亀山郁夫は書いている。フィリップ・ゲルシーコフはショスタコーヴィチのことを「トランス状態のやっつけ仕事屋」と切り捨て、エジソン・デニーソフは「ショスタコーヴィチの音楽にはあまりにたくさんのゴミがある」とまで言う。
ソロモン ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』も「単なる過去の証言」になってしまったようだ。
亀山郁夫は『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書)や『全体芸術様式スターリン』(現代思潮新社)などの著作の他、ウラジーミル・ソローキンやメイエルホリドの翻訳もされている。この「20世紀ソヴィエト音楽における”抒情”の運命」の今後の展開、そして書籍化が待ち遠しい。
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