HODGE'S PARROT

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フロイト神社のA級(永久)戦犯

現代思想12月号は、予想されたとおり「緊急特集 ジャック・デリダ」だった。
だが、この中で、十川幸司という人物が奇妙なことを書いている。読んでいてアタマにきた。
いわく

デリダこそが精神分析だったのである。

いったい、デリダが、いつ、同性愛者を「倒錯」と呼び、差別言説を弄したんだ。
いったい、デリダが、いつ、アルフレッド・アドラー(Alfled Adler)のような差別主義者/A級戦犯の仲間入りをしたんだ。

ふざけるのもいい加減にしろ、と言いたい。十川は「フーコー特集」でも、精神分析フーコーの方法に近いと主張していた(現代思想2003年12月臨時増刊)。しかし、その同じ文章で、国際精神分析協会は<現在でも>同性愛者の分析家志願を受け入れていないと──批判/糾弾するでもなく──書き、そしてアーネスト・ジョーンズの

同性愛は忌まわしい犯罪であり、同性愛者が分析家の一員になると協会の信頼が失われる

という差別発言を平然と引きながらだ。

なるほど、国際精神分析協会は、どうやらアメリカ軍と同じ「ポリシー」を持っているらしい。つまり国際精神分析協会も、米軍と同様に、「Don't Ask Don't Tell」ポリシーを掲げているということだ。
それとも、カトリックの司祭制度に「準拠」しているのだろうか。精神分析家は「異性愛者」でなければならない、司祭が「異性愛者」でなければならないことと同じように。なぜならば、司祭=精神分析家は、「経典」に則って、「自分たちが設定した罪/病」を「告白」させる「権力者」たらねばならないからだ。まさに「司牧者権力」ここに極まれりだ。

今どき、性的指向で、なれる職業/なれない職業がある、というのが驚きを通り越して呆れ果てる。もちろん、精神分析を「美化」する連中は、こういった「現実」を首肯しているんだよな?
ならば、それは、単なる「歴史修正主義者」どころではない。それは「ネオコン」どころではない。差別を「追認/首肯」するその姿勢は、いったいKKKやネオナチとどう違うんだ?


なぜ精神分析は、フーコーデリダや(ジジェクがやっているように)ドゥルーズと「同列」なんだ? 彼らが、いったい、いつ、「差別」を「首肯」したんだ?

21世紀の精神分析がやっているのは、他の思想家への体のよい「寄生」なのか?
「大精神分析共栄圏」でも目論んでいるのか?

青土社には、「イマーゴ」という雑誌があったはずだ。それは精神分析屋たちが「自分たちで病者を勝手に創りだし」、「その<患者>をネタにした」ものだ。精神分析屋たちはそっちに、いくらでも「差別言論」を書けばいい。