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ショスタコーヴィチの証言の証言

ショスタコーヴィチの証言 (中公文庫)

ショスタコーヴィチの証言 (中公文庫)

Shostakovich And Stalin

Shostakovich And Stalin

レコード芸術』(2005年8月号)のショスタコーヴィチ特集を読み返していたのだが、作曲家の生涯から主要作品解説、ディスク、文献・研究、ショスタコ周辺の作曲家・演奏家、Web に至るまで目配りの利いた、読み物としても資料としても、第一級の内容であることに疑問の余地はない。さすがはレコ芸だ。

いくつか紹介したい。
まずは『20世紀ソヴィエト音楽における”抒情”の運命』を連載している亀山郁夫氏の巻頭言「恐怖と自足の刻印  ショスタコーヴィチの時の時」。ここで亀山氏は、ショスタコーヴィチ(DS)を「栄光と悲惨、正と負の振幅のすべてを抱えもつ、矛盾だらけの作曲家、傷だらけの人間」だとし、例の問題作《森の歌》についても以下のように述べる。

わたしは最近、オラトリオ《森の歌》に好んで耳を傾ける。批評家はしばしば芸術家の「堕落」について口にする。しかし、同時代の一人としてこの音楽に耳を傾けてみよう。社会主義リアリズムとは、彼にとって、けっして呪われた試練ではなかったはずだ。そもそも社会主義リアリズムが理想とする簡潔さや民族性は、音楽体験の根幹にあるものではないか。友人ブランテールが書いた《カチューシャ》の成功に無関心でいられなかったDSならば、《森の歌》を書けない自分をけっして許そうとしなかったろう。
万人に受け入れられたいという欲求は、どの芸術家にもある。《森の歌》は、サヴァイヴァルのための試練どころではない、自分の才能の可能性を知る試金石でもあって、DSは真剣勝負でこの曲に向かい合ったにちがいない。《森の歌》を包み込むユーフォリアはけっしてまがいものではない。


いわゆる「ジダーノフ批判」については、千葉潤氏の「ショスタコーヴィチの生涯と創作」を参照したい。冷戦時代に突入したソヴィエトは、知識人に対する言論の弾圧を強化、芸術における諷刺的、悲劇的な表現を厳しく排除した──「社会主義リアリズム」は体制賛美の口実と化していた。この社会主義リアリズムという大義名分によって「綱紀粛正」を主導し、それを理論付けたのが、アンドレイ・ジダーノフ(1896-1948)であった(ジダーノフ批判以前にも、ショスタコーヴィチは、共産党中央機関紙『プラウダ』によって《ムツェンスク郡のマクベス夫人》が槍玉に挙げられていた)。

Shostakovich: Lady Macbeth

Shostakovich: Lady Macbeth

ショスタコーヴィチは「過去の誤りを克服せず、作曲界を形式主義的逸脱へと導いたとして、公開の場で懺悔させられ、モスクワ、レニングラード両音楽院の教授を解雇される

この時期以降、ショスタコーヴィチの創作は、一方のオラトリオ《森の歌》やカンタータ《我が祖国に太陽は輝く》、映画『ベルリン陥落』、『エルベの出会い』等のプロパガンダ作品と、他方のより音楽的な関心の優った、あるいはイデオロギー的に有害な、”抽斗のための”作品へと分かれていく。後者には、ヴァイオリン協奏曲第1番や歌曲集《ユダヤの民族詩より》、さらに弦楽四重奏曲第4番等の「ユダヤ・シリーズ」に属する重要作や、ジダーノフ批判をパロディにした《反形式主義的ラヨーク》などが含まれる。

ベルリン陥落(トールケース仕様) [DVD]

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Mendelssohn / Shostokovich: Violin Concertos

Mendelssohn / Shostokovich: Violin Concertos

1953年にスターリンが亡くなると、ショスタコーヴィチ交響曲第10番を発表する。この曲は引用や暗示を散りばめた「二重言語」を駆使した作品として知られているものだ。興味を惹くのは、交響曲第5番《革命》どころかショスタコーヴィチ作品をほとんど演奏しなかった、西側音楽界に君臨するヘルベルト・フォン・カラヤンが、この作品を例外的に2回も録音していること。ちなみにヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』には、第10番の2楽章は「スターリンの肖像」を表したものだという「証言」が記されている。



工藤庸介氏の「ショスタコーヴィチ受容の30年」では、ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』が大転機となり、「ソ連の御用作曲家」というレッテルが免除され、それ以前と以後では音楽受容が様変わりした、という事態が示されている。音楽(芸術)受容も立派な政治的動機を含んでいるものなのだ。笑ったのが日本における1970年代の一コマ。

もっとも、新世界レーベル、あるいはビクター・レーベルはメロディア原盤の国内盤LPを少なからずリリースしていたのだが、ジャケット裏の解説に並ぶ共産主義臭漂う文言が、当時の国内情勢下で保守的な聴き手を遠ざけたことは想像に難くない。


そして梅津紀雄「追跡──ショスタコーヴィチの文献事情」では、ソロモン・ヴォルコフ著『ショスタコーヴィチスターリン』をめぐる論争について、ロザムンド・バーレット「25年戦争、または、西欧でのショスタコーヴィチ」では、アラン・ホー&ドミトリー・フェーファノフによる著書でヴォルコフに献呈された『ショスタコーヴィチ再考』(序文はアシュケナージ)における論争ついて書かれている。ヴォルコフの「証言」をめぐって、議論は、沸騰しているようだ。

Shostakovich Reconsidered

Shostakovich Reconsidered

Testimony: The Memoirs of Dmitri Shostakovich as related to and edited by  Solomon Volkov

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A Shostakovich Casebook (Russian Music Studies)

A Shostakovich Casebook (Russian Music Studies)

Solo Piano Works (Hybr) (Ms)

Solo Piano Works (Hybr) (Ms)

ショスタコーヴィチ没後30年、生誕100年

打倒モーツァルト、2006年はシューマン・イヤーだ! とばかり意気込んでいたら、ショスタコーヴィチのことをすっかり忘れていた(汗)。
そう、TransNews の alfayoko さんが教えてくれたように、2006年はドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)の生誕100年なのである(2005年は没後30年だった)。

In praise of ... Shostakovich [Guardian]

There's no doubt about which composer will be dominating the airwaves this month and for most of this year: Wolfgang Amadeus Mozart, born in Salzburg 250 years ago. There's another great musical anniversary to be celebrated this year, however, and this time a real centenary: the birth in September 1906 of Shostakovich.

そういえば、『レコード芸術』(2005年8月号)は、「ショスタコーヴィチルネサンス」と銘打ったショスタコ特集号で、その内容の「濃さ」に感嘆したものだった。とても読み応えがあり、まさに永久保存版。
で、このレコ芸の特集に「私の好きなショスタコーヴィチの作品とディスク」という記事があり、指揮者兼ピアニストのミハエル・プレトニョフをはじめ、音楽家や研究者らが好きな作品&ディスクを挙げているのだが、交響曲第15番を挙げている人が多いのが目を惹いた。ちなみに一番有名で人気があると思われる交響曲第5番(邦題は「革命」)は誰も挙げていなかった。そういう時代なのかな、と思いつつ、僕も「5番は別(格)にして」、気に入っているショスタコのディスクを挙げてみたい。

Piano Concerto 1 / Piano Concerto 11

Piano Concerto 1 / Piano Concerto 11

  • アーティスト: Dmitry Shostakovich,Joseph Haydn,Jörg Faerber,Württemberg Chamber Orchestra,Martha Argerich
  • 出版社/メーカー: Dg Imports
  • 発売日: 1995/10/17
  • メディア: CD
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なんといっても、これ。ピアノ協奏曲第一番。そしてなんといっても、アルゲリッチのピアノ。終楽章のアルゲリッチのキレた演奏にしびれる。


Shostakovich/Kabalevsky : Cello Concerto No.1

Shostakovich/Kabalevsky : Cello Concerto No.1

チェロ協奏曲第一番。超難曲もモノともしないヨーヨーマのクールな弾きぶりが、これまた凄い。


Trio Pno 1/2/Romances (7)

Trio Pno 1/2/Romances (7)

ピアノ三重奏曲1番、2番。1番の簡潔でモダンな感じが好きだな、ショスタコらしい諧謔性と夢見るような叙情性が同居していて。
しかしそれよりも何よりも、このNAXOS盤がいいのは、カヴァージャケット。Jieyin Wang 氏の作品に魅了された。
[Jieyin Wang]

ショスタコーヴィチ:祝典序曲、交響詩「十月革命」、交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」、オラトリオ「森の歌」

ショスタコーヴィチ:祝典序曲、交響詩「十月革命」、交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」、オラトリオ「森の歌」

そして、『祝典序曲』、交響詩十月革命」、交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」、オラトリオ「森の歌」といった体制順応、国策賛美──と思しき──作品ばかりを1枚のCDに収めたアシュケナージ&ロイヤル・フィルハーモニー盤。アシュケナージは、周知の通り、ソ連から亡命した人物。それがこういった「政治的」作品を録音する政治的意図は? 録音は1989年から1992年というソ連崩壊の時期に行われている。
とくに『森の歌』は、共産党中央委員会による「ジダーノフ批判」を受けた作曲家が「汚名挽回」のため?に書いた(とされる)もので、共産主義国家ソヴィエト&スターリン礼賛音楽として有名。1950年のスターリン賞第1席を受賞し、見事「批判」をかわした。また「十月革命に捧ぐ」は、労働者向けの平明な響きの中に「10月、コミューン、レーニン!」とレーニンを称える歌が繰り返し入る、とても「香ばしい」音楽だ。

レーニンへ回帰するのではなく彼をキルケゴール的な意味で反復すること、それがわれわれの考え方だ。今日的な配置図のもとでレーニンと同一の衝動を奪還すること、それがわれわれの課題である。



スラヴォイ・ジジェク『迫り来る革命 レーニンを繰り返す』(長原豊 訳、岩波書店)p.15