HODGE'S PARROT

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『O[オー]』 O/2001/アメリカ 監督ティム・ブレイク・ネルソン

現代アメリカのハイスクールを舞台に展開されるシェイスクピアの悲劇『オセロー』。現代風俗──ドラッグやセックス──にどっぷりつかりながらも、シェイスクピアの翻案に相応しい陰惨な雰囲気と悲劇的な色彩を帯びている。もちろん原作の存在をある程度斟酌しないと、展開に不自然さを感じるかもしれないし、もしジョ シュ・ハートネット演じるヒューゴがもう少し狂気を帯びていたら、原案はシェイクスピアではなくてルース・レンデルだと思う人もいるかもしれない。

そう、本当にルース・レンデル作品のようなのだ。破局への歯車が、徐々に、しかし確実に噛み合わさってゆき、最後で大爆発を起す。そのメカニズムは容赦なく冷徹に駆動する(だから取って付けたような、まるで無責任な精神分析医がもっともらしく説明するような「父親と息子の葛藤」はなくてもよかったのではないかと思う)。
ハイスクールが舞台の「アメリカ映画」なのでオセロー(オーディン)によるデズデモーナ(デジー)殺しは、避けられるのではないか、悪人イアーゴ(ヒューゴ)だけが裁かれ、もう少し「救い」のあるロマンティックなラストを向かえるのではないか、と思っていたが、見事はずれた。待ってましたとばかりに大破局が訪れ、人がバタバタと死ぬ。悲劇のカタルシスには申し分ない。

それどどうでも良いことだが、主役のジョッシュ・ハートネットより個人的に断然気になったのは、マイク役のアンドリュー・キーガンの方だな。あとマーティン・シーンがコーチ&父親役で出ていたが、本当の息子エミリオ・エステベスチャーリー・シーンは最近どうしているんだろう?

他にちょっと興味を引いたのが IMDbプロット・キーワーズ。ここには"racial-slur"及び"gay-slur "という項目がある。いうまでもなく黒人侮蔑、同性愛侮蔑のことで、具体的には「ニガー」という言葉と「ファグ」という言葉が使われたからだろう。
多分それだけのことなのであるが、しかしそれだけのことであっても「自覚的」なのとそうでないのとは全然意味合いが違う。この作品でも「ニガー」という言葉は「黒人同士の間において使われる」と「説明」されていたし、「ファグ」も『スリーサム』でまったく同様に「説明」されていた。そんなこともわからないで──あるいは「実践」してなくて、文章上のいやがらせ=テクスチュアル・ハラスメントを唱えたって、それは矛盾につながらないのだろうか。どういうつもりで「そういう言葉」を使っているのだろう。