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ゲイ・ライフと『枕草子』?



J.S.バッハの《ヨハネ受難曲 Johannes-Passion》を聴きながらエドマンド・ホワイト/Edmund White の『燃える図書館』(The Burning Library)を読んでいる。

燃える図書館―ベスト・エッセイ70s‐90s

燃える図書館―ベスト・エッセイ70s‐90s


エドマンド・ホワイトは言うまでもなく『ある少年の物語』などの小説で知られる小説家であるが、この『燃える図書館』の序文でデイヴィッド・バーグマン/David bergman*1 が述べているように、ホワイトのキャリアはタイム/ライフ社での編集者としてスタートし、ジャーナリスト、批評家でもあったわけであるから、このエッセイ集でも鋭い視点で「ゲイ社会」──というより単に「社会」と言ってもよいだろう──を描いてみせる。平易かつ適切な言葉を選びながら、大胆な論評を加え、そして大いなる共感を持って。

その中で、ホワイトがゲイ・ライフを清少納言の『枕草子』に擬えているところがあって、ちょっと驚いた。というのも、この『燃える図書館』を読み返すきっかけとなった、フランスの編集者でホワイト作品の翻訳者でもあったジル・バルブデットについて堀江敏幸氏もその文章を「清少納言の『枕草子』を範とする」と指摘していたからだ。欧米のゲイ男性の間では清少納言がそれほどホットなのか、と。

The Pillow Book (Penguin Classics)

The Pillow Book (Penguin Classics)

現代のゲイ世界の状況に近い唯一の過去の社会は、十二世紀の作家清少納言の『枕草子』に描かれた古代日本の宮廷生活である。辛辣な言葉としゃれた機知で有名な才人として、清少納言はその素晴らしい備忘録において、彼女の住んでいる世界、すなわち朝廷役人と官女たちの世界の価値観を見事に浮き彫りしてみせた。
女性たちは自分が好む相手に対して誰にでも情けをかけることができた。そのルールとは、作法にのっとった、情緒に訴えかける一夜限りの契りであった(殿方は女性に後朝の歌を送り、袖についた朝露を別れの際の涙にたとえる)。しかしその礼儀正さにもかかわらず、性的関係は突如として燃え上がり、ときとして業火にすらなる。セックスは完全に社会に同化されているわけではない。まだ飼い馴らされてはいないのだ。友情は──清少納言は彼女の趣味と古典に対する教養を賞賛する男性数人と長い友情を保っていた──性的冒険と絡み合い、常にそれよりも長続きする。偶然の出会いが、一生続くロマンチックであるがセックスの絡まない関係に至ることもある(一族のためだけに年輩の親戚によって決められた結婚は決して愛情や性的魅力と混同されることはない)。


わたしはここでセックス、愛、友情が部分的に重なり合うものの、決して完全に一致することはない社会の前例として平安時代の宮廷生活を引き合いに出しているのである。このような社会においては、友情は感情的、社交的継続性をもたらすが、セックスは勇敢さを示す(獲物、スリル、詩的弁解)のための機会以外の何ものでもない。プルースト的な意味における愛──報われたとたんに蒸発してしまう嫉妬とゆがんだ所有欲に基づいた、大仰な、身を滅ぼさんばかりの一方的な情熱は、ブルジョワ的結婚における家庭内の幸福と同じように当時はまだ知られていなかったのである。





エドマンド・ホワイト『燃える図書館』(柿沼瑛子 訳、河出書房新社) p.181-182


そうだったのか、清少納言って。そういえば教科書でしか『枕草子』読んでないや。

*1:この人がエディターを務める『The Man Who Would Marry Susan Sontag: And Other Intimate Literary Portraits of the Bohemian Era(Living Out: Gay & Lesbian Autobiographies)』という本もとても気になる。だって「スーザン・ソンタグと結婚したい男」なんていうタイトルなんだもん。

The Man Who Would Marry Susan Sontag: And Other Intimate Literary Portraits of the Bohemian Era (Living Out)

The Man Who Would Marry Susan Sontag: And Other Intimate Literary Portraits of the Bohemian Era (Living Out)