HODGE'S PARROT

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長い髪してマルクスボーイ、今日も抱える赤い恋



かつて「モボ」「モガ」と呼ばれる若者たちが存在した。ウィキペディアを参照すると、「モボ」「モガ」は、それぞれ「モダン・ボーイ」「モダン・ガール」を略していった言葉で、大正末期から昭和の始め頃、西洋文化の影響を受けて新しい風俗や流行現象に現れた若者たちのことだという。

大正時代は第一次世界大戦にて日本の国益が大きく増進し、交戦国と中立国の両方の利益を得たとされている。国内事情も好景気に沸き、若い男女がやはり戦勝国であるアメリカやヨーロッパ先進国の風俗の模倣をするようになった。


この時期、「大正デモクラシー」の時流に乗って、教育の分野においては大正自由教育運動がおこり、かつては一部高等子弟にだけ許された教育が徐々に一般庶民へも拡大し、個人の自由や自我の拡大が叫ばれ、進取の気風と称して明治の文明開化以来の西洋先進文化の摂取が尊ばれた。新しい教育の影響も受け、伝統的な枠組にとらわれないモダニズム(近代化推進)の感覚をもった青年男女らの新風俗が、近代的様相を帯びつつある都市を闊歩し脚光を浴びるようになった。




モボ・モガ [ウィキペディア]


一方で、「マボ」「エガ」と呼ばれる集団も存在した。「モボ」「モガ」のキザで享楽的、そして思想的に楽観的な集団とは大分異なった地味な存在であった。というのも「マボ」は「マルクス・ボーイ」、「エガ」は「エンゲルス・ガール」の略であり、当時の日本では「アカ」は国賊であったからだ。彼らはナッパ服やルパシカを着込み、ブハーリンの著書を抱え込んで、銀座あたりに姿を現したという。
『ミステリマガジン』に連載された、井家上隆幸の「20世紀を冒険小説で読む 日本編第五十四回=帝国への抵抗」では、マボ・エガのエピソードから、次第に「発狂していく」大日本帝国の状況が衝撃的に描かれている。主に参照されるのは、海庭良和『虚構の殺意──多喜二の伝説』だ。

「エロ・グロの後にくるもの……それはテロであり、ミリ(軍国主義)だ。」
1931年(昭和六)に満州事変が起こり、32年(昭和七)は満州国建国、血盟団事件五・一五事件、国防婦人会発足。33年(昭和八)は国際連盟脱退、京大滝川事件三原山での投身自殺大流行、そして東京音頭とヨーヨーの大流行……。
「世の中グチャグチャでまさに”ミリ”に向かって盲進している。」
「ついに大日本帝国発狂!」

そのような状況下の大日本帝国において、その地下では、検挙されても検挙されても「世にアカの種はつき」なかった──すなわち共産党員らが蠢いていた。
1933年(昭和八)、特別高等警察のスパイ三舩留吉*1に売られた小林多喜二が築地署で拷問、虐殺された。

「その写真に写っている多喜二は、身体全身が黒く膨れあがり、肥満した海豹のようだった。左の顳顬には直径三センチほどの丸い皮膚欠損部があり、頬などには錐で刺したような創孔が数ヶ所観られた。首にも、両手、両足にも、太い荒縄が食い込んだ跡が黒ぐろと浮きだしていた。天井から吊り下げられたり、机に縛りつけられて、竹刀か木刀で滅多打ちされたと思われた。睾丸も陰茎も異様に黒ずんで、風船のように膨れていた。大腿部も膨れており、顔を同じように鋭利な刃物を突き立てた創が、転々と数十ヶ所も見られ、黒く血がこびりついていた。向こう脛には、皮膚を切り取ったか、あるいは角材を叩きつけたような創があった」
「腹部も太腿も皮がはち切れそうにどす黒く膨らんでいた。皮下出血などという生易しいものではない。あまりの侵襲(ストレス)に、身体中の血液やリンパ液が、殴られた部分を保護しようとして集まり、膨れ上がってしまったのだ」




井家上隆幸「20世紀を冒険小説で読む 日本編第五十四回=帝国への抵抗」(早川書房『ミステリマガジン』1996年2月号より) p.91


ここで海庭良和のフィクション『虚構の殺意──多喜二の伝説』が参照され、中共側エージェントや日本人スパイらとの諜報戦が紹介されるのだが、当時の日本を取り巻く状況は、このフィクションに描かれたものとそう大差ないだろう。とりわけその「雰囲気」は。この時期には、日本共産党によるいわゆる「リンチ殺人事件」(スパイ査問事件)も起きている。

これをおおざっぱに概観すれば、「モガ、モボに象徴されるアメリカニズム──モダニズムと、これに対する反動としての国家主義、さらにロシア革命大正デモクラシーの下で育ったマルクシズム、この三つが交互に反発し憎悪しあって、日本人の思想や風俗の動向を混迷」させ、はては、「昨日勤王明日は様佐幕/その日その日の出来心」と、大日本帝国はお上も衆庶もアカもみな”発狂”となったのである。




井家上隆幸「20世紀を冒険小説で読む 日本編第五十四回=帝国への抵抗」 p.92


20世紀冒険小説読本 日本篇

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巨構の殺意―多喜二の伝説

巨構の殺意―多喜二の伝説

*1:特高のスパイとして共産青年同盟に潜入、小林多喜二、山本正美を売り渡す。孫引きになるが、しまね・きよし『日本共産党スパイ史』によれば、三船は飯塚盈延(スパイM)と共同してコミンテルン日本共産党の連絡ルートを切断、共青組織を売り渡し続け、党中央部を壊滅においこむ作業を行った。

小林多喜二を売った男―スパイ三舩留吉と特高警察

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小林多喜二 上 (新日本新書 106a)

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日本共産党スパイ史 (1983年)

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スパイM―謀略の極限を生きた男 (文春文庫)

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